解決不能な「問題」を、解決が簡単な「問題」にしてしまう魔法♡
こんばんは、
今日は当院では、
月一回の頸動脈エコーを中心とした、日曜診療の日でした。
⇒頚動脈エコーの重要性は、こちら
また、診療報酬請求業務のため、
事務員が出勤日となっている日です。
最近、バタバタの日々が続きましたので、
久しぶりに静かに書類整理をさせていただいております。
ところで、朝からyahoo天気では、
相武台の天気が、一日中晴れマーク:快晴の予報でしたが、
実際は一日中、空は厚い雲に覆われていました。
閲覧者が、実際の天気をクリックするコーナーで、
晴れ 0人 曇り 10人 と圧倒的に曇りが多くても
頑固に3時間毎の予報を、
「晴れ」で1日貫き通したyahoo天気コーナー、
まさに天晴です。
さて、世の中には、
様々な解決が難しい問題や、
理解し難い状況などが、たくさんあります。
健康に関しての問題しかり、
国際情勢に関してもしかりです。
国際情勢に関しましては、
モスクワ在住の北野幸伯さんのメルマガを数年前から
拝読させて頂いており、
(北野さんのHPは、こちら)
そこで、興味深い文章に出会いました。
「国際情勢または、政治を難しくしている理由は、
当事者の本音と建前が存在するから。」
建前を本音と捉え、
政治や世界情勢を捉えると、途端に理解できなくなる。
その二つを、混同しないために、
問題に対して、距離感をとって大きくみることが必要。
距離感を変えてみれば、この国の本音はどこにあるのか、
浮き彫りにされてくる。
北野幸伯さんの国際情勢の捉え方でみると
その国の本音を理解するために、
どこかの大国のように、
各国首脳の電話に盗聴器をつける必要性など、
ないことがわかります。
逆にそのように近すぎる細かい情報に囚われると、
「大きな本音」がみえなくなる。
そのように、
問題に対して距離感を間違えると本質が捉えられなくなる例に、
「性善説」「性悪説」があると私自身は考えております。
人間の本性は基本的に善であるとする倫理学・道徳学説
人間の本性は基本的に悪であるとする倫理学・道徳学説
どちらが正しいのでしょうか?
こちらも、距離感の問題です。
私は、仏教に詳しくはないですが、
先日のダライ・ラマ法王の講演会で仏教の大切な考え方の一つ
「相互依存」
という言葉を法王は、話されていました。
相互依存:自分と他人は、境がなく、つながっており、影響しあっているとの考え方。
人間という動物を、
単体でみると、「ある人」、「その別の人」と別れて見えてくる。
別れて見えた時点で、「ある人」の行動は、
「その別の人」にとってみると、
「善」とも捉えられるし、「悪」とも捉えられる。
別々、個々人と考えた時点で、善悪、価値観が生まれる。
そこから様々な問題が発生する。
なぜなら、
「ある人」が善と考えて行った行動も
「その別の人」には悪と受け止められると、問題がこじれ非常にややこしくなる。
このことは我々の生活の中で、
日常茶飯事に起こっていることではないでしょうか?
そのような、人間関係に悩んでいる時間が、
人生の時間のなかでなんと多いことでしょうか!
しかし、実際には
善悪、価値観を考えれば考える程、
その思考は迷宮に入り、抜け出ることは難しくなります。
なんといっても、
紀元前から2000年以上
性善説、性悪説のどちらが本質的なのか、
解決できなかったのですから。
このように、思考が迷宮入りした場合は、
私は絶えず、
問題に対して「距離感を変える」ことをしていきます。
個々人の人間関係をその会社全体で考えた場合、
家族同士で考えた場合、国単位で考えた場合、
生物としたとらえた場合、自然の一部としてととらえた場合
宇宙全体でとたえた場合
歴史の中でとらえた場合、歴史の時間スケールを大きくした場合、
このように変化させていくと、人間関係の捉え方で、
本質的には、
「価値観など存在しない。」との感覚をもつことが可能です。
トラが鹿を食べる時、そこに善悪はありません。
生物としての法則があるだけです。
恐竜が、絶滅した時、そこに善悪はありません。
理由は定かではないですが、
「環境に適応できなかった。」という法則があるだけです。
人間が健康であること、
つまり体の調和がとれている状態は、
そこに価値観はありません。
身体が調和しているという法則があるだけです。
国が繁栄した状態にある。
そこに善悪はありません。
そこには、単純に「法則」があるだけです。
(詳しくは北野幸伯さんメルマガ参照されてください。)
人間関係がうまく行っている状態、
そこに価値観はありません。
出会いの段階で、
価値観から、つながるという入り口はあるにしても、
その関係性が、長く良い状態を継続できる場合は
ある「法則」があるだけです。
そこには「価値観」はありません。
その「法則」こそが、おそらく、
心の奥底に流れている
「相互依存」という「法則」であると考えています。
その状態では、
無意識のうちに、
自分の痛みは相手の痛み、
相手の喜びは自分の喜びということを
お互いの関係性の中で理解しあえている状態だと思います。
様々な、「関係性」において、
「価値観」「善悪」は、
本質的には存在しません。
それにも、かかわらず、
「関係性」の「解釈」の段階で、
存在させてしまうくせが我々人類には、あります。
そこには、単純に「法則」があるだけです。
その「法則」を見出していこうというのが、
科学の原点だったのでは、ないかと私は考えております。
現在、「科学」
なかでも私の専門である
「医学」が迷宮入りしている感覚は、
現場で「医療」を行っている際に、痛切に感じます。
距離感を変えてみると楽に問題が、
捉えられる可能性があります。
当院からは、勇気を持って、
その「関係性の非常識な距離感」を
少しずつ発信出来ましたら幸いです。
今日も最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
治療範囲 | 保険点数 | 自己負担割合 3割 | 自己負担割合 1割 |
身体の深部にある臓器 | 9,000点 | 27,000円 | 9,000円 |
身体の表面に近い臓器 | 6,000点 | 18,000円 | 6,000円 |
◯Mr.ビーンは映画で見ると面白いが、身近でいるときつい。
◯太陽は、地球では、恩恵の賜物だが、近づけば身体は持たない。
◯離婚の危機の際にダブルベットから、ベットを別にすると夫婦関係がうまくいく場合もある。
◯宇宙人から見れば、相武台脳神経外科のスタッフはみんな、「人間」、
外国人から見れば、みんな「日本人」患者さんからみれば、役職や名前で区別、生物学者からみれば、男女、年齢、ウィルスからみれば、細胞、時間感覚もふくめてみれば、DNA、
◯冬の富士山は遠くで見ると美しい、山に入ると厳しい。
加藤先生
感想を送らせて頂きます。
以前あった、俯瞰力のお話と通じる内容だと思い、とても興味深いお話でした。
思考の迷宮入り…私はよくあります。
先生のおっしゃる、そんな時は問題に対しての思考距離を変えるという方法、私も似たような方法を行っていると気付きました。
思考が迷宮入りしてしまうと、本来何が原因であったのかが不明瞭になり、結論に結びつかなくなったり、思考がどんどん枝葉末節になるために、余分な答えが沢山出たりもします。
なので、そんな時は、はたと我に返って、問題を違う目で見ている感覚にしています。
内容にもよりますが、自分の価値観だけで考えているために解決できないだけなのかなと思ったりしています。
違う人から見たらどうか、またはその問題自体をを置く環境(場所や状況)を変えてみるといった方法でしょうか。
しかし、ここまで思考回路を変換するまでにとても時間がかかっているのが現段階です…。
日々の体験や経験を重ねる毎に少しずつ出来るようになるのかなと、思っております。
うたうたいナース様
感想いつも大変ありがとうございます。
うたうたいナース様も様々な変化をつけられているのですね。
非常に勉強になりました。
はまってしまうと、視野がせまくなるので、とくにそのような場合には注意したいと思いました。
ありがとうございます。
問題に対して「距離感を変える」ことについて。私は悩み事がある時、そのことばかりに頭がいっぱいになってしまい視野が狭くなった結果、自分の軸がブレてしまうのは避けたいと思っています。しかし、周りの目ばかり気にして流されたりして、自分の意思は何だったのかわからなくなってしまう事が多くあり後悔してばかりです。上手く距離感を変えて考えてみて、周りとの関係性よりも優先すべきことに、もっと自信を持ちたいと思います。そして「あのとき、ああすれば良かった」という行動をしなかったが故の後悔を減らせるようにしたいです
匿名希望様
なかなか難しいということを気がついていただけてありがとうございます。難しさをご理解いただきそれが第一歩となります。またよろしくお願いいたします。
価値観で考えるのではなく、距離を置いて考える。すべて起きていることは何らかの法則で日常におこっているんですね。そう考えると身の回りすべてのことに対して面白さを感じることができます。
ビオレ様 ありがとうございます。距離感を考えることができれば、身の回りのことは宝の山と愕然とします!
仕事の中で、それぞれのスタッフとの関わりでも、困難や問題にぶつかったときには、距離感を変えてみてみたいと思いました。
仕事や皆様との関わりがもっと楽しくなりそうでうきうきします。
dori子様 ありがとうございます。距離感を変えてみてすぐに諦めないのがこつですね。
「関係性の非常識な距離感」
本メールマガジンを拝見していて、目から鱗が落ちる思いでした。
自分軸だけで考えていると、大した事ではないのに大問題になってしまう。
それを客観的に、または大きなくくりで眺めてみると、
『ああ、そんな意味ではなかったのだ』『こういう意味に捉えられるのだ』
という気付きに行きつきます。
実際の体験でも、目の前の状況に究極の”サイアクな未来”を突き付けられた時
『誰が分かるものか。私はそんな考え方をせず、未来を信じよう』と思いました。
少しズレてしまいましたが、大きな視線で物事を捉える必要性だけは胸に刻みます。
距離感が大切だと言うことがわかりました。
確かに距離感を間違えると問題が起きるような気がします。
しげとも様 ありがとうございます。距離感は大切なきがします。
「価値観」「善・悪」と捉えた時は感情的になってしまう問題も、「相互依存」という視点で距離感を変えて見ると、今まで思いもよらなかった気づきがありそうですね。
問題に直面したときは距離を変える。本当に大切だと思います!
今も、手に届きそうな目標があるとき、そのときに問題が発生すると、少し離れてみたり、通り過ぎたりします。そのことによって、自分を客観視できるいるかなと思います。