過去の経験の価値を一瞬で、宝物に変える方法。
「負けたことがある」というのが、いつか大きな財産になる by 堂本監督(漫画スラムダンクより)
私は、高校卒業までは、
実家が貧乏で苦しいという状況ではなかったため、
食や、物質的には恵まれた環境で育つことができました。
にも、関わらず、10代の頃
なにか、日に日に、自分の中で不足感が、つのっていったのです。
自分の中で何かをやりたくて、なにかが不足だったのですが、
それがなにかが、分かりませんでした。
18歳で、実家を出させていただき、はや20年が経ちましたが、
何が足りなかったのか、今となっては、はっきりわかります。
それは、あの当時は、
「生きていなかった。」
「命を感じていなかった。」のです。
一つの成長の段階だとは、思うのですが、
気がつくのが、少し遅めの年齢だったかもしれません。
自分が「正しい」という世界があります。
その世界は、たしかに、家に引きこもって、
あるいは出家して自分だけの世界をつくれば、
(もちろん、本物の出家はこれには、あてはまりません、、)
守ることができるかもしれません。
しかし、それは砂上の楼閣です。
なぜなら、自分が正しいと考える世界観の背景には、
もっともっと奥深い「正しい」世界があるものです。
けれども、
その、正しいことに相対する負の世界を
実感として体験していなければ、
その背景を実感できません。
存在すら分かりません。
どれだけ、
奥深く「正しい」のか分からないのです。
そのため、
少しのストレスに弱くなり、
結局、その、ちっぽけな自分を守ろうとして、
どんどん引きこもっていくという悪循環を生みます。
その意味で、自分にとっての、挫折の経験、や負の経験は、
自分の目指す、世界観を非常に強固にする土台を作ってくれるのです。
負の経験から逃げない事、それはつまり、
人生の一瞬一瞬を勝負するという事。
生ききる事。
意外にこの事は、難しい事だと、
友人に先日、教えていただきました。
また、それでつまずいている人達も
周囲で多いことに気が付きました。
もちろん、自分自身も、
自慢できるほど、
生ききっているわけではないですが、
振り返ってみると
社会人になってから逃げない習慣が、
ある程度、いつも間にか、
つけさせていただいていました。
それは、脳神経外科医としての業務の中で
知らず知らずのうちに、
身についていたものだったのです。
脳神経外科医になってからは、自分としましては、
逃げたくなるような絶望にさらされる事や、
患者さんの非常に追い込まれたぎりぎりの救命場面に
責任もって対処しなくてはいけない状況が、
二週間に一回ぐらいの頻度では、直面していました。
今となっては、よく、気持ちがもっていたな、
と過去の自分を感心するのですが、
その経験のおかげで、ほとんど負け戦でも、
絶望の縁にたたされても、
周囲の状況が混乱しすぎて、自分で理解不能でも
やりきる習慣が、立ち続ける習慣が、
いつの間にか自分についていました。
開業して、診療所を運営する立場となっては、
また、別の意味で、
追い込まれる状況は、多々あります。
しかし、
患者さんとの話がうまくいかなくても、
職員との関係が、うまくいかない場合でも、
資金繰りがぎりぎりの状況でも、
関連業者に怒鳴られても、
どんなピンチにさらされても、
「やりきる」覚悟があり、
それが自然な態度となっている自分を
最近、友人より指摘していただき気がつきました。
そして、
「診療所を運営する。」という決断、意図を
静かに揺るがずにもっていることで、
絶望のふちにたたされても逃げなければ、
いつの間にか、問題が沈静化され事態が、
物事の流れが、展開していくことが多いことも
やり切る経験を重ねることで、実感しています。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ。」
by安西先生。(漫画スラムダンクより)
生きるとは、逃げずに勝負すること。
その上での、負の経験は必ず、
自分にとっての強固とした土台になります。
「負が正を際立たせる。」
そして、その背景に「意図」があったときには、
正の経験、負の経験に
「意図」が方向性を持たせ、
自分の理想とする波を発生させます。
それが、自分の魂を燃やす行為、
人間一人一人の命が、
与えられた使命の気がします。
よく陥りやすい人間の習慣として、
「意図」をもった勝負をするのではなく、
負の経験そのものと戦ってしまている状況の方が、
多いように思います。
片頭痛で悩まれている方は、その典型です。
毎日毎日 頭痛で悩まれている方の多くは、
いつも戦っている相手が、
「頭痛」になってしまっています。
頭痛を、和らげるにはどのようにしたらよいか、
しか頭にありません。
頭痛だけを抑えても何も解決されません。
それどころか、
状況は、負のスパイラルに入ります。
ご本人が、本当に意図したい事。
それは、
「片頭痛が起きない自分の体の状態になる。」
ということではないでしょうか?
でも、現実的には、片頭痛患者さんで、
この意図を持っている方は、
皆無といってよいでしょう。
診察室で、片頭痛に対しての印象を伺うと、
「つきあっていくしかないと思っている」
と答える方がほとんどです。
せっかく、負の経験をしても意図しなければ、
ご自身の魂の波は、発生しません。
その反面、本質的な解決を意図した瞬間に、
負の経験が自分にとっての
「宝物」へと転化するのです。
ご自身の、今までの過去の経験、
負と考えられている経験は、
自分がどうありたいか?という
「意図」が本質的になればなるほど、
その瞬間に宝物へと変化します。
私自身、「過去」は、
変える事はできないと考えております。
しかし、
自分にとっての「過去の価値」は、
変える事ができるのです。
(下:清流古座川河川敷にて、「坐る。」平成27年3月21日)
治療範囲 | 保険点数 | 自己負担割合 3割 | 自己負担割合 1割 |
身体の深部にある臓器 | 9,000点 | 27,000円 | 9,000円 |
身体の表面に近い臓器 | 6,000点 | 18,000円 | 6,000円 |
私も18才から寮生活し、4人部屋で過ごした時、自分が常識だと思っていた事がそうではなかったり、とても視野が広がったと思います。
子供が成長し、もうそろそろ親の目の届かない世界で過ごす事の方が多くなると、社会で強くたくましく、なおかつ人に優しく、そして楽しい人生を送る為には何を伝えれば良いのか?
考える日々です。大切な存在ということ、自分の人生だから、自分で考えて行動しなさい。と位です。
自分自身も子供も何があっても前向きに生きていく強さと優しさ、柔軟性を身に付けたいです。
しげとも様 ありがとうございます。大切なことを一つお腹に落としていきたいですね。勉強になりました。
「負が正を際立たせる」
負の経験は、自分に何かの気づきを与えてくれる学びのチャンスだと思います。
意図を持って問題の本質を解決できた時、それは正の経験に変わるのではないでしょうか。
自分が「正しい」という世界
子育て中の女性は、躾のために子どもに正しいことを教えていくので、自分が全て「正しい」と思い込みがちだという話を思い出しました。
よい意味で自分を疑う気持ちと、奥深く「正しい」世界観を柔軟に受け入れられる心を持てれば、もっと楽に生きられるのではないかと思いました。
過去は変えることが出来ないけれど、過去の価値は変えることが出来る。おっしゃる通りだと思いました。時間が経つと、綺麗な思い出となることのできる過去は、自分の中で価値を変えることが出来たからなんだと、自分の経験を振り返ってみました。
『ほとんど負け戦でも、
絶望の縁にたたされても、
周囲の状況が混乱しすぎて、自分で理解不能でも
やりきる習慣が、立ち続ける習慣』
是非私も持ちたい感覚です。
多少のさざ波でも揉まれて混乱してしまう”癖”があると感じているので
”それでも本質を見極めて流れを汲み取る”ようになりたいです。
日々感じるのは”毎日変わる困惑・困難・問題”です。
昨日まで見えなかったものが見えるようになる。
問題でなかったものが問題として噴出してくる。
そんな中で”揺るぎない自分”を持ちたいものです。
みんみ様 ありがとうございます。毎日多くの問題が入れ替わり出てくるようなときにじつは 黒幕の問題が一つのことがありますのでそれを見る目をつけていきたいです。ありがとうございます。
『自分にとっての、挫折の経験、や負の経験は、
自分の目指す、世界観を非常に強固にする土台を作ってくれるのです。
負の経験から逃げない事、それはつまり、
人生の一瞬一瞬を勝負するという事。
生ききる事。』
命の現場に立たれたご経験が多くあられるからこそ、
のお言葉だと思います。
一瞬一瞬が命の闘い、一秒も目を離せないICPUで
『私達が守ります』と言われた事が今でも忘れません。
患者様に寄り添い、一瞬一瞬を闘い全力を尽くす事こそ
”生きる”。
勿論、いつ何時でも”全力”では疲れてしまいますが。
大切な”今”に負を活用させない手はないですね。
みんみ様 ありがとうございます。負の経験は 活用しようと思わなくても私達の土台に自然になってくれているきがします。いつもありがとうございます。
「人生の一瞬に一瞬に勝負すること」にとても共感しました。
一秒を争う陸上をやっていた中で、自分が周りよりも一瞬を大切にしたということは何か、なぜ一瞬を大切に出来ず進んでしまったときがあったのかも、日誌で振りかえっていました。自分の失敗を認め進んでいくことは難しいですが、前を向いて進むためには道標になったと思います。
挫折や負の経験は、自分の成長につながる大事なものなんだとあらためて感じました。そのためにも挫折などや辛いことから逃げないようにしていこうと思いました。
とにかく、「今を生きる」ことが一番大切なのだと思います。
過去の積み重ねがあって今の自分がある。そしてこれから先に備えることも大切。
でも、一番は自分の「今」。
私も負の体験から宝物を得ていきたいです。
苦しみから逃げ出し、挫折を繰り返しているうちに、人は負けグセがつき、
どんどん自分を負の状況に追い込んでいく様な気がします。
そして、結局何度もまた同じ課題に追い込まれる状況に遭遇しなければならないのです。
そうならない為に、初めから失敗を恐れず、全力で取り組む姿勢が大切だと思います。
その結果が挫折に終わっても、それは飛躍への通過点であると思います。
最近、自分にとって良くない状況の時、楽観的とは違うけれど、「どうにかなるかなぁ」と思える事が多くなりました。
年を重ねて、様々な経験をして、過去の経験に助けられて、だんだんと気持ちのアップダウンなく対処できるようになっている気がします。
ただ、今思い出しても、「こんな事ってあるんだなぁ」と心に残る経験もありますが、今後もなかなか忘れる事ができない苦い経験があるかなぁ?どうかなぁ?と、少し楽しみなような、不快なような、変な心持ちの自分がいます。
経験して「感じる」ってすごい事ですね。
医療現場で 逃げたくなるような絶望にさらされる事や、追い込まれた ぎりぎりの救命場面を経験したことはありませんが…
看護師として 3年はきちんと病棟で経験を積んでおけば良かったと、今でも後悔していることはあります。
過去は変えられないので 今を頑張るしかないのですが、出来ない自分に落ち込むことが結構あります。
なので、今研修している鍼の脈診治療は、逃げない ごまかさない精神で患者さんに向き合いながら…3年は経験を積んでいこう! と思い もうすぐ3年目になります。
とても欲張りですが、自分のからだとと向き合いつつ、これからも 看護師 鍼灸師として 日々精進していきたいと ブログを読んで改めて感じました。
初めて実家を離れ、一人で暮らし始めた頃は、なにもかも一人でやらなければならないことや、初めての地で、知り合いもいなくて、誰にも頼ることもできない状況で、実家に帰りたいと思ったことも、何度もありました。でも、行きたかった学校に行かせてもらっていることもあり、なんとしてでも卒業するまで頑張るぞ、と心に誓ったものでした。この時のことは、今の私の土台になっていると思います。
私の弟はここで挫折し、自分の殻にこもってしまいました。私と弟となにが違っていたのかわかりませんが、なにかのプレッシャーに押し潰されてしまったのだと思います。
この殻から脱するには、とても時間がかかりました。ですが、この時間は試練だったと思います。自分から逃げなかった、このことでしっかりした土台が作れたのではないかと思っています。
「生ききる事」
これからも、自分と向き合い健康で幸せに暮らしていきたいです。