日本人は世界で一番弱い??
こんばんは、
お彼岸が過ぎ、大好きな金木犀の香りがほのかに香るようになってきました。
(上記の写真は、熱田神宮、
下記の写真は私が幼少期過ごした、静岡県三島市三嶋大社にある樹齢1200年と言われる金木犀の木です。ちなみに国の天然記念物に指定されています。)
9月には連休がありましたが、
私は、時間が出来るたびに、
できるだけ視野を広げる目的で旅をするようにしております。
もちろん、国内旅行が多いですが、
日本人の文化が形成され、
その流れを感じやすい場所に「 神社」があります。
その神社を訪問することがここ数年多くなりました。
今回の旅の中で、
熱田神宮に足を運んだ際にふと気がつかされたことがあります。
神社は、
「自然との調和」 を「意識して」形つくられた、
「場」である。
ということは、もちろんですが、
自然との調和であるにもかかわらず、
自然そのものとは明らかにその「場」には違いがある。
そこには、自然と調和を目指したものでありながら、
自然との関係性に「心地良い緊張感」がある。
つまり、ただそこに、自然があるだけではなく、
自然との関係性のなかで、お互いが高め合っている。
この、関係性は、よく考えてみると神社だけではなく、
日本文化の根底に流れる関係性だと思います。
しかも、日本文化特有のものでは、ないでしょうか?
自然との関係性に、心地良い緊張感をもっている。
人間の文化の「我」が強いわけでも、自然に負けているわけでもない。
この、絶妙な「わび」と「さび」。
そこから、他の国の文化に思いを馳せてみても、
この緊張感を、私の知る限り感じたことがありません。
なぜ、日本人がここまで、関係性に緊張感をもたせ、高め
洗練させてくることができたのでしょうか?
それを解く鍵を、
ある方の言葉から見つけることができました。
グレートジャーニー(アフリカで発生した人類が世界に拡散した経路)を南米から、
自転車、徒歩、カヌー、動物の力だけで、
逆走された、探検家であり医師でもある関野吉晴さんの言葉です。
「誰が、土地をでていったのかというと、
好奇心や向上心に突き動かされた人ではなく、
弱い人達が押し出される形で出て行ったのじゃないか?」
日本人や、南米のマヤ文明の人間は、
突き出されて突き出されて土地の末端まで辿り着いた
既得権益からのけ者にされた社会的に弱い人間たちだというのです。
弱い人間たちは、自分たちの弱さ故、
より大きな怖いものと真剣に対峙する必要があった。
あるものと対峙する上で、真剣であればあるほどその関係性は磨かれる。
まして、
自分自身の「弱さ」を自覚していたとなると、その関係性は更に磨かれる。
初心者が、ビギナーズラックで勝負に勝つのと、
酸いも甘いも経験し尽くしたベテランが「弱さ」を自覚して勝負に勝つのでは、
勝負の意味、関係性が全く異なる。
どんなに弱いものでも、
真剣に関係性に向き合えば一矢報いることができる。
日本の神社に触れて感じたことは、
そこに自然を征服しようとする意図は全く感じられない、にも関わらず
ただ漫然とそこにある自然ではなく、そこの「自然」すら人間の力で高めている。
という、その洗練された「関係性」の偉大さです。
それこそが、
日本人の誇るべきものであり、
向かうべき方向性では、ないでしょうか?
ただ、オリンピックを開催して盛り上がればよい、
何の理念も持たず、
ただ速ければよいと、リニアモーターカーを建設するという方針は、
いまは、高度成長期ではないので、
とても時代錯誤的な未来を感じない方針と感じます。
「おもてなし」をオリンピックの理念にしたいのなら
「おもてなし」の真の意味を知るべきだと感じます。
win-winなどという安っぽい関係性ではなく、
お互いを高め合う「緊張感」をもった洗練された関係性、
それを我々日本人が世界に発信出来る機会になればと願います。
そもそも、
高度経済成長によって我々日本人は、様々な痛い思いをしました。
そして、本当の豊かさってなんだろうと考えたはずです。
なぜ、高度成長時代に痛い思いをしたか?
それは、資本主義社会による競争に巻き込まれたからです。
そしてこれから将来そのような不毛な競争に巻き込まれるかどうか?
それは、その根底に理念が流れているかどうかにかかっています。
私は、競争そのものを否定しているわけでは、ありません。
ただ、理念のない競争は、人を不幸にするだけです。
無意味な受験戦争が、
成績がよいから医者になったなどという人間を生むのです。
山極寿一さん(京都大学理学部長、人類学霊長類学者)が
関野吉晴さんとの対談で述べられています。
「国際競争力などという言葉の中身は、果たして本当だろうかということです。
もっと広い視野で世界の今を眺め渡してみると、
むしろこれからは無用な国際競争に巻き込まれるのを避けて、
食料自給をたかめ、
自前の産業を育てようとする国や地域が増えてくるはずだと私は考えているのです。」
無用な国際競争を避ける唯一の方法が、
自分たちの本当の意味での「強み」を、しっかりと理解することだと私は感じます。
そのことは、
個人であれ、会社であれ、地域であれ、国であれ、民族であれ
それぞれの枠組み全てに通用することではないでしょうか?
今日も最後まで読んでいただき本当に感謝いたします。
治療範囲 | 保険点数 | 自己負担割合 3割 | 自己負担割合 1割 |
身体の深部にある臓器 | 9,000点 | 27,000円 | 9,000円 |
身体の表面に近い臓器 | 6,000点 | 18,000円 | 6,000円 |
文化を語るうえでの深い深い考察を有難うございます。何度も読み直して私なりの日本人としての自覚、あり方を考えたいと思います。わび、さびという深い精神のあり方をどう他国の人に表現すればいいのか、考えているところです。
nakaji様
コメントいただき大変ありがとうございます。何度も読み返そうとされることは私としましては本当に嬉しいです。外国の方への伝え方を考えるうちに自分の国の文化に関しても理解が深まりますね。貴重な気づきありがとうございました!
以前、毎年京都へ行っていた時期がありました。
ピリッとした緊張感と、美しさにほっとする感覚。
無用な競争よりも、たくさんの誇れる日本をもっと知っていただきたいと、そしてその誇りを日本人として強く持っていたいと思います。
日本の自然、大好きです。
dori子様 これからの時代は、単純なお金儲けというよりも、どれだけ本物の価値を提供できるかということになってくると思います。競争ではなく、自分の勝ちをしる。日本はほとんどの国に対して貿易黒字です。ただ、日本に対して極端に貿易黒字の国が二国あります。それは、スイスとフランスです。スイスなどは資源もなく、内陸で輸送手段も厳しい中での日本への貿易黒字です。理由は、ブランド力です。自分の本当に価値が有るものを高く売る力です。それが今から日本の目指す方向性かもしれません。
私は幼い頃から熱田神宮に参拝しておりました。
しばらく間が開いて、自立して独り暮らしを始めた頃、
熱田神宮の側で活動をしておりました。
近隣は開発が進んで、新しいビルや開発が進んでいるのに
都会の中の熱田神宮は凛として清々しく、
周囲は騒然としているのに、境内の中は張りつめた清廉さがあります。
余計なモノをそぎ落とし、洗練された清々しさと威厳があります。
心も身体も、周囲に流されず、凛としてありたいものです。
日本美は、自然を破壊するではなく、なすがままにするでもなく、
日本庭園のように、自然を知り、調和を見、
己と自然との微妙な関係性を実現させることで緊張感のある
美しさ、儚くも美しい荘厳さがあると思います。
人間の”力”を見せつけるのではなく、自然を尊重し、共存する。
四季がはっきりとして鮮やかな自然に恵まれた土地ならではの
繊細さですね。
強さと儚さ、その共存を目指したいです。
『日本人や、南米のマヤ文明の人間は、
突き出されて突き出されて土地の末端まで辿り着いた
既得権益からのけ者にされた社会的に弱い人間たち』というお考えに
少し衝撃を受けました。
本当にそうだったとしたら、弱いからこそ共存出来る土地を探し
その都度叡智を獲得しつつ、辿り着いたのかも知れません。
弱い時こそ己を知ることが出来、
その壁を乗り越えつつ強みを増して行く。
子供は病気を通して強くなっていくと良く言いますが、
大人になって病んだ時、それまで得て来た叡智を上手く使いたいです。
みんみ様 ありがとうございます。弱いからこそ、真剣になれる強みがありますね。ありがとうございます。
競争心ではなく、自分の弱さを認めて、そして相手のことも考え、お互いを高め合う関係性を気付くことは大切だと思いました。
自分自身の弱さを自覚し、磨かれていく。
何事も、切磋琢磨し、鍛練が必要ですね。
自分の弱さを知るとめげてしまいそうになりますが、
次のステップへ行く大事な過程だと思い頑張って行きたいです。
しげとも様 仰るとおり、自分の弱さに気がついているだけで次のステップへの準備ができている証拠の気がします。ありがとうございました。
先日、法要がありお寺に伺う機会がありました。門を入ると庭がきれいに整えられていて、さらに大きな中庭もありましたが、見ていて心が落ち着くような佇まいでした。そのお寺の住職さんは、来た方みなさんが落ち着いていただけるようにこまめにお手入れをしているとのこと。新しくなにかを取り入れるのではなく、今までのものを丁寧に手入れをすることだけでも、癒される空間を作ることができる、これこそおもてなしなのではないかと感じました。