「よいものは、よい!」八重の桜が教えてくれたこと
こんばんは、この日曜日と月曜日に
相武台は本当に雨がたくさんふりました。
けれども、
台風の進路が少しそれたため、
当院の周囲は大事には、いたりませんでした。
現在台風一過の、赤い夕暮れを見つめていると、すこし静かな気持ちになります。
ただ、ニュースで拝見するかぎり、
台風の進路にはいった地方は、非常に危険な状況に依然としてあるようです。
十分に、警戒されてください。
ふだん災害から無縁のように思える、
京都市内にも20万人以上の避難勧告が出たことは、少し驚きでした。
このようなことがあるたびに、自然との関係、地球との関係を考えさせられます。
「人間は自然界に突っ張って生きていけない。」
というニュアンスの言葉を、探検家の関野吉晴さんはおっしゃっていました。
では、現状として、
人間が他の自然界から、少し浮いた感じになっている「違い」とはなんでしょうか?
考えてみました、、、
学習が出来る(他の動物もできる)
記録が出来る(人間にしかできない) ⇒歴史が生まれる
⇒歴史を学ぶことで、 太古の昔からの人間の人生を追体験することが可能
⇒それが文化になる、伝統になる、科学になる。価値観になる。
自然界も、遺伝子でレベルでの歴史は知っているのかもしれない。
しかし、人間は顕在意識で、人類の歴史を「勉強」することができる。
いや、人間生活する以上、社会生活する以上、それをせざるをえない。
歴史上の人間が経験したこと、それはつまりトラウマと直結する。
人間の限界を頭で理解したトラウマ、、、 こうすべきだ。これはしてはならない。
人間とはこうあるべきだ。 それは、その道から外れて痛い思いをして得たトラウマ。
その歴史が育んだ文化、科学、価値観、トラウマが個人の
潜在的な価値観となり、エゴを形成する。
そこへ、様々な欲の波が押し寄せる。
欲は、トラウマに縛られた個人を、まとめて飲み込む。
人間は、歴史とともに文化をなし、文明をなし、そのたびしばられ
そのトラウマに縛られた人間を、
人間の欲が貪る。
人間の欲がぶつかり合う。
そして 文明にとどめをさす。
西暦2013年現在、地球上でかつて文明と呼ばれたものは、ほとんど全て滅んでいる。
現在地球上で残るのは、「世界文明」とよばれるものであろうか、、、、
日曜日の夜に、
いつもは見ていない「八重の桜」を翌日が休みだったため、ぼんやり見ていました。
明治維新に様々な戦いがおこります。
見ていると、結局みんな戦っている対象が同じに見えてきました。
その相手とは、
エゴとの戦いにどうしても感じてしまうのです。
エゴとは、生まれてから、刷り込まれてきた価値観。
それにすがる自分自身。
価値観とは、これまでの歴史のトラウマ。
その価値観を捨てるのではなく、そっと傍におき、
「よい物はよいと素直に認められるかどうか?」
「よいものはよい!」(八重のセリフ)
その勇気が、革命で生まれ変わることができるかどうかを決めます。
基本的には、日本の歴史上では革命は外的な要因で、多くおこってきました。
明治維新でいえば、黒船。
文明がすすみ、外的な要因がなくなれば、
結局文明そのもの自体に革命を起こすことが、歴史を重ねるほど難しくなります。
トラウマが大きくなり、より大きな勇気を必要とするようになるからです。
そのため、最終的には、かつて歴史上の文明はほとんど全て滅んでおります。
そのことを考えると、
現在の世界文明も滅ぶためにプログラミングされているとも、いえるかもしれません。
それは、地球全体の流れからすると健全な遺伝子情報かもしれません。
しかし、私自身、人間の存在意義は、顕在意識、エゴの存在にあると考えます。
人類が恐竜のように滅ぶのも流れと諦めるのもよいかもしれませんが、
人間の進化のポイントは、他の動物にない、
大脳の高次機能、顕在意識にまさにあると私は考えます。
顕在意識が低レベルの種は、
花は花の生涯を疑問に思うことなく精一杯全うします。
魚は魚の生涯を疑問に思うことなく精一杯全うします。
人間は、高次機能があるがゆえ、自分の生涯を疑問に思ってしまいます。
しかし、逆に、自分の生涯の方向性(本来の生き方)がわかれば、
花や、魚と違い
「意識して」生涯を全うすることができるのです。
「意識して」生涯を楽しむことができるのです。
では、人間の本来の生き方とは、なんでしょうか?
その方法論を、まさに歴史が教えてくれます。
大河ドラマが教えてくれます。
八重の桜をみて何を思うか? 坂の上の雲をみて何を思うか?
歴史が何を教えてくれるのか?
歴史とは何だったのか?
歴史の人間ドラマはエゴとの戦いであることに気が付きました。
トラウマをふりはらおうとする葛藤に、ほかなりません。
エゴを外す。トラウマを外す。
エゴを外すことで、歴史から独立した一つの生命である
「人間」の命のエネルギーを、とめどなく感じることができます。
本来の生きる方向を「感じる」ことができます。
それが、ウエイン・W・ダイヤーさんの言われる「シフト」
そしてフロイトのいう「人生の午後」への変化です。
じゃあ、そのために具体的にどうしたらいいのでしょう?
具体的な方法を「八重の桜」でジョーが教えてくれています。
「peopleのために、尽くす。」
「ひたすら他人の幸せを願う。まずは、自分に関わってくれている人をおもう。」
それがエゴを認めたまま、そっと傍におく、一番の近道。
ただそれだけ。
これが、本当にシンプルな「法則」です。
治療範囲 | 保険点数 | 自己負担割合 3割 | 自己負担割合 1割 |
身体の深部にある臓器 | 9,000点 | 27,000円 | 9,000円 |
身体の表面に近い臓器 | 6,000点 | 18,000円 | 6,000円 |
エゴやトラウマから目をそらさず、しかしシンプルに良いと思えることに敏感に純粋な感度を持っていきたいと思います。
自分のエゴやトラウマを外せたら、本当に感じ取れるものがあるんだと感じました。人の幸せを願い、人のことを思うことを大切にしていきたいと思いました。
自分のトラウマ、エゴを外してひたすら他人の幸せを願う…とても素敵だと思いました。
これを中途半端にしてしまうと、急に自分のトラウマやエゴが押さえきれず急に噴出してしまうので、自分自身のトラウマやエゴを上手にコントロール出来るように努力していきたいです。
しげとも様 おっしゃるように中途半端にむきあうと怖いですね。腰を据えて向き合ってみたいです。
トラウマやエゴを取り外すにも中途半端な気持ちでは、出来ないのだと思いました。何事にも素直な気持ちで向き合っていきたいです。
あらゆる戦い、今も地球上で起こっている戦争は、結局のところエゴのぶつかり合いで起きていると言えるのでしょうか。
人間である以上、エゴを持たずにいることは難しいですが、まずは自分に関わってくれている人を思い「認めたまま、そっと傍らにおく」
ぜひそうしてみたいと思いました。
人間は、高次機能があるからこそ、いろんなことを考えすぎて、悩みすぎて、いろんな罠にはまりこんでしまうと思います。
いっそ、花や魚のように生きていくことだけに一生懸命なら悩むこともないのに…
でも、考えることができるから、楽しかったり、うれしかったり、花や魚にはできないこともできる。
人間であるからこそ、エゴやトラウマは、切っても切れない存在なのだと思います。
そこをあえて、花や魚みたいにシンプルに物事をとらえてみる。
「よいものはよい!」
「好きなものは好き!」
目の前のことに正直になれる人になりたいです。