小川康先生が感じたチベット医学との壁 第3回
こんにちは、相武台脳神経外科です。
かつて人類は、何万年もの間
「生きること」そのものに、
必死だったと思います。
その必死さは、
先進国も、発展途上国も差はありません。
小手先の「こと」が、発展途上国よりも
高度であるだけで、本質的なことに関しては、
むしろ、昔からの文化を
大切に育んでいる国、民族のほうが、
学べることが多かったりもします。
現在、土地を追われ苦難の状況に、
追い込まれているチベット民族。
その民族の体との向き合う手段として発展してきた
チベット医学。
今まで、必死で守り抜いてきた、文化をなんとか
絶やすまいと、場所を変え北インドダラムサラの地で
継承され続けています。
その医学部を日本人でただ一人卒業された
小川康先生。
ダラムサラの地で、何を目撃したのか?
今回は、
小川康先生の波乱万丈の半生を追います。
本ビデオ講座を視聴していだだくことで、ご理解頂ける内容な下記となります。少しでも、能動的な作業が加わるとより理解が深まります。下記の質問の回答あるいは、本ビデオ講座を視聴後の感想をコメント欄へ書き込んでいただけますと幸いです。
- 小川先生のメンティカンに入学時の同級生は、何歳年下ぐらいか?
- チベット医学生の一番の娯楽とは?
- チベット人に対する診察において小川先生が一番のハードルと感じたこととは?
- チベット医学は、医学なのか? 日本における医学とは?
- 小川先生は、理論から語ることが嫌い。
- 小川先生と高見山との共通点とは?
- 仏教徒は、仏様と一体感をもとうとする、小川先生がなぜそこに壁を感じたのか?
- 小川先生は、なぜ、チベット医学校を脱走したのか?
治療範囲 | 保険点数 | 自己負担割合 3割 | 自己負担割合 1割 |
身体の深部にある臓器 | 9,000点 | 27,000円 | 9,000円 |
身体の表面に近い臓器 | 6,000点 | 18,000円 | 6,000円 |
患者様としっかり向き合う、向き合うしかないチベット医学・・・でもどの分野の医学も向き合う事から始まったと思います。改めて心にとめておきたいと感じました。
源流様 素朴に向き合う 原点にもどりたいです。
患者さんと向き合うしかないということは、自分がブレることなく、初心に戻って進んでといったように、進んでいくしかないのかなと思いました。
「ここを無駄にしたら、もったいないどころか失礼」
20倍の難関を突破し、合格したなら行くしかないでしょうし、断るのは失礼だと私も思います。
そういう運命だと思って受け入れるべきことって、あるのだなと思いました。
「夢は、ヒマラヤで1ヶ月間、薬草を採り続ける実習」
入学を決めるのに色々と悩まれて、自分の夢が叶うことも決め手の1つとなって、決断されたのは凄いと思いました。
「同級生は24歳以下で、6〜10歳も年下」
受からない前提で、特別に年齢制限を超えて受験されていたことも驚きでしたが、年齢制限があるのにも驚きました。
ある程度若くないと務まらない程、厳しい状況での勉強なのだなと思いました。
「在学中は、基本的に結婚してはいけない」
そんなことまで決められているのかとビックリしました。
寮生活で、ひたすらずっと勉強だと聞くと、そんな暇と無いように思いました。
「1番の娯楽は、お喋り」
若者の娯楽としては驚きましたが、娯楽施設が無くても、ゲームや遊び道具が無くても、友人達とお喋りするのは充分楽しい様に思います。
物は無くても楽しむ気持ちがあれば、何でも楽しめるのではないかと思いました。
「チベット語で冗談が言える程の高いレベル」
母国語以外の言葉でジョークが言えるのは、凄いことだと思います。
1番の娯楽であるお喋りが、小川先生にとっては会話のトレーニングになっていて、とても為になっていたのだなと思いました。
「診察室でチベット人の患者を笑わせること」
人を笑わせるのは、結構難しいと思います。
診察室で外国人の先生が軽く笑わせてくれたら、相談しやすい雰囲気になると思いました。
「チベット人の患者を笑わせるのは、受験して試験を通ることよりも大変」
笑いのツボは人それぞれですし、同じ話でも笑う人と笑わない人がいます。
その上、チベット人が何を面白いと思うのか、理解するのは大変だろうなと思いました。
「目の前のおじいちゃんを笑わせるのに10年かかった」
時間をかけて信頼関係を築かれたので、患者さんの笑顔が見られるようになったのだと思います。
地道な努力が報われた結果だと思いました。
「チベット医学は、医学なのか?」
7〜8世紀の本をひたすら暗唱すると小川先生はおっしゃっていますが、昔からの身体を治す智慧が詰まっているのだろうと思います。
薬草の知識など、自分も知りたいと思いました。
「本当の医学の姿は何なのか」
日本とチベットの医学は、かなり違います。
どんな医学でも目的は病気の治療だと考えると、どちらかを選ぶのではなく、患者が望む医療を自由に受けられるようになったらいいと思いました。
「寮生活も薬草をヒマラヤに採りに行くことも、目の前の患者のおばあちゃんを笑わせることも医学」
チベットでの生活の全てがチベット医学に繋がっているのだなと思いました。
普段の生活に根差した医療が、ちょっとした不調を治す術となる気がします。
「自分のバイアスとして、理論から語るのは嫌」
理論をしっかりと理解しているからこそ、できることだと思います。あやふやな知識では、理論にたどり着けないと思いました。
「チベット医学って、患者としっかりと向き合うのですか?」
小川先生が向き合う以外に何するの?と言っておられて、ハッとしました。
医者と患者の関係だけでなく、人と人の関係も同じだなと思いました。
「向き合うという概念が無い。向き合わないという概念も無い。」
それが普通だと、向き合っているかどうかは関係なくなるのだなと感じました。
自分とも他人とも向き合っていきたいと思いました。
「”向き合う以外無い”という世界」
どんなに医療が進歩しても、結局は人に救われていると思います。
直接なのか、間接的なのかの違いはあっても、向き合っていることに変わりは無いように思いました。
「“当たり前”に分類は無い」
“自分の常識は、他人の非常識”という言葉が思い浮かびました。
色々な当たり前があっていいし、敢えて分けなくてもいいのになと思いました。
「異文化、異民族として初めてチベット医学の中に正式に足を踏み入れた」
学校としても挑戦だったのではないでしょうか。
小川先生の後にも外国人の学生が入っているということは、外国人でも大丈夫だと認めてもらえたのだと思いました。
「初めてハワイから来た高見山みたいな感じ」
言葉もよく分からないまま、外国でその国の国技をプロとしてやっていくという高見山の決意は、相当なものだったと思います。
その頑張る姿は、多くの日本人から愛されていたとおぼろげながら記憶にあります。同じように、小川先生もチベットの人達から愛されているように感じました。
「異文化の中で生きていくような、異文化の衝突」
初めて受け入れてくれた外国人だけに、小川先生も周りの学生達も文化の違いを強く感じられたのではないかと思います。
年下の同級生に囲まれて、命令口調にムカつくのも分かる気がします。
「チベット人の仏教に対する信仰は、仏様と明らかにしっかりと一体化する」
同じ仏教徒なのに日本人とは随分違う印象を受けました。解釈の仕方も違うのでしょうが、生活の中で意識の仕方も違うように思いました。
「仏様の教えを距離を置いて観察しようとする」
お盆やお彼岸や仏教のことを意識する機会はあっても、その教えまで深く考えることはありませんでした。
自分は観察しようともしていなかった、と気づきました。
「どこか失礼な風に見える時もあったと思う」
仏教に対する距離の取り方が違うだけなのに、誤解を招いてしまったのは残念です。そんな違和感を感じながらも、勉強を続けた小川先生は凄いと思いました。
「どこか斜に構えて見てる。そういう所が彼らからすれば気に食わなかった。」
どちらかが理解を示して受け入れなければ、溝を埋めるのは難しいと思います。
自分にも頑なな所があるので、相手の立場になって考えたり、受け入れられるように努めたいです。
「嫌がらせを受けたり、心無い言葉を受けたり、その中で自分ももがきつつ休学」
嫌でも我慢して続けるのが大事な時もありますが、小川先生が勇気を出して休学したから卒業できたのかもしれません。少し立ち止まって自分を見つめなおしてみることも人生の中では必要な時があると思いました。
「耐えきれなくなって、仲の良い2人だけに打ち明けて1度脱走した。」
2人の友人が、心落ち着いたら帰って来いよと言ってくれたのが、すごく素敵だなと思います。
待っていてくれる人がいるというのも、戻るきっかけになると思いました。
「満月の日の朝、この日だと思って脱走した」
満月の日には犯罪も増えると聞きますし、何か行動を起こさせるパワーがあるのかもしれません。
現状を変えたくて、決心して行動する勇気はすごいと思います。