こんばんは、

今夜はなんとなく、もどかしい気分になりながら、
クリニックで夜に流れていた、テレビの中の高倉健さんの、言葉が目に飛び込んできました。

「カメレオンは、よい俳優になれない。」

俳優という職業を真剣にとらえこだわり抜いた。重みのある言葉です。

outstandingを 目指すということはこだわりを持つ!ということ。

それを、職員に浸透させようと
少しずつクリニックの方向性をつけようと、
模索し続けています。
一年で自分で言うのもなんですが、かなり浸透してきたとおもいます。

しかし、診察終了時間前などに、その「本気度」を問われる瞬間に遭遇する時があります。

中学生ぐらいのまじめな子供さんが、当院がお伝えしている理学療法をものすごく真剣にしてくれていました。その子は、実は途中なのにその1人で行う理学療法のメニューをすべて終了したものと勘違いして、スタッフに「すべて終わりました!」と言ってきてくれました。
その子は大変真剣にしていたため、
もうすでに一時間近く、当院の診察終了時間は過ぎていました。
スタッフのなかで、心にすきがあったのかもしれません。
しかし、少しでもその子が、行う理学療法のスピードを気に留めていれば、、
「これと、これ、全部やった?」と 少し質問しさえすれば、、
その子に対して、
「自分自身で体を手入れする、体の声を聞く」と言う方法を伝えたい
という姿勢で本気でその場に立っていれば、
明らかに、その子に
「まだもう少しあるよ。」
という言葉をかけることができたはずなのです。
気のゆるみなのか、
そのスタッフが、その伝えるべきメッセージの意味をまだわかっていない、浸透しきっていないのだとはおもいますが、
本当に恥ずかしいことですが、そのスタッフはそのまま理学療法を終了にしてしまいました。
私がその話をきいたときは、身内から当院の存在を否定されたかのような衝撃をうけました。

プロフェッショナルかどうか?

それは、
自分の行うべき、ことをきちんとしたかどうか?
自分の行うべきことを行うために、あらゆることを犠牲にできたかどうか?

高倉健さんは、肉親の葬式に、一回も出席したことがないそうです。
母親のお葬式の最中に、喜劇映画を撮影していました。

インタビュアーの、そのことで苦しみましたか?との問いに
「捨てるべきものがあるということだ。」

と答えられていました。

そこで、
文頭の
「カメレオンは よい俳優になれない。」との言葉に戻れます。

同じ時間帯、

私は、もう1人の 新人スタッフに注意しました。
ある患者さんが、
毎回 同じ症状で 来院する。その度に、症状を押さえる点滴をする。
その患者さんは、
「症状が出る原因はなんなのか? その症状をなくすためにどのような戦略が必要なのか?」
「その症状をなくすため、どのような行動が必要なのか?」
ということを、全く考えようとせず、
毎回症状が出たら、同じ点滴を要求する。
もちろん、当院は診療所のため、最低限の処置はしますが、基本的にそのような態度の患者さんに、outstandingに対応する気は全くありません。
そのような、患者さんに迎合して、まるで奴隷のように、様々要求に答える、新人スタッフを見て、その態度が本当に、
「自分の体の声を聴き続けよう。そうすれば、必ず、健康への道は拓ける。」とのメッセージをつたえるという、当院のコアにそった、態度なのかどうなのか
もう一度考えてもらいたくて、強く注意しました。
新人スタッフは、優しい態度を示し、マザーテレサになったかのように錯覚していたのかもしれませんが、本当にその態度が、その患者さんにとって、よいことなのかどうか?
考えてほしいとおもい。心を鬼にして、つよく、いいました。

このような対照的な、出来事があり、はっきりしましたが
当院はoutstandingな診療所をめざしています。
つまり、とてもとても とがっています。
こだわりがあります。

新幹線に乗っている時はとても快適ですが、
新幹線からおちると、命を落とすことになると思います。
こだわりがあるということは、
きちんと、当院の方向性にそっていれば、スタッフも患者さんも快適ですが、
当院の方向性にあっていない場合は、スタッフにしても患者さんにしても
当院にくる意味がないということです。

たとえご理解頂けなくても、ご理解いただけるように努力しつつ
そこはきちんと境界線をおきます。ゆずれません!

境界線がなくなるときは、当院がつぶれてしまう時か、
この地方全体に 当院の方向性が浸透できたときだと思います。

今日は、少し力が入ってしまいました。申し訳ございません。

最後まで長々と読んでいただき大変ありがとうございました。

相武台脳神経外科