衝撃の告白。「平和の礎。」8月6日をむかえて。
平和の礎(リアルバージョン)〜
30年前の今頃、
夏休みで帰省した私は、祖父に尋ねました。
「おじいちゃんは、あまりお酒飲めないの?」
コップ半分のビールで
真っ赤になる祖父を少し格好悪いと思っていたからです。
するとその質問に端を発して祖父は
私が思いもしなかった話をしてくれました。
「おじいちゃんとおばあちゃんは、二次大戦の時、
満州の山奥に居てね、そこで1人目の子供(私の叔父)が生まれたんだ。
当時、日本政府は、
もしも日本全土が壊滅状態になったとしても
日本のために死んではいけない人のリストを作って
満州なんかにかくまったんだ、特に科学者達を。
そして、原爆を作れ!って命令したんだ。
おじいちゃん達科学者は誰も口には出さなかったけれど
作るふりだけして作ろうとしなかった。
そんな物を作ったら大勢の人が死ぬし、
当時の日本の研究者のレベルからして
アメリカにはもう完成した原爆があると思っていたからね。
だから、戦争が終わるまで研究中だった。
案の定、アメリカは持っていて、長崎、広島に落とされただろ?
そんな研究をしていた研究所と同じ敷地に
特攻隊の隠れ基地もあったんだ。
夜遅くまで研究室にいると若い特攻隊員が扉をノックしてきて、
『夜分に失礼仕り候。
明日友が旅立つ為、アルコールを頂戴したく候。』って言うんだ。
おじいちゃんは、
実験でごまかして三角フラスコに取っておいた
エチルアルコールを黙って渡した。
勿論、そのままでは度数が高くて飲めないから、
湯呑み茶碗に氷砂糖と水も入れて仲間が酔わせて特攻隊員を寝かしたんだ。
いよいよ特攻する前の日は怖くて眠れないからと言っていた。
翌日、仲間が『友は無事、お国の為に旅立ちました。』と
フラスコを返しに来るのがとても辛かった。
自分の無力さを感じたな。
戦争が終わったら特攻で死んだ彼等の分まで生きようと心に誓った。
長い話になったけどおじいちゃんにとってアルコールはそういう物なんだ。」
私はお酒を飲めない祖父を格好良いと思った。
そして、私自身も理系の進路を選んだ。
飲めない祖父と同じ様に。
(以上文責:山口創太 祖父 武部啓)
こんにちは、
相武台脳神経外科 加藤貴弘です。
今日は、8月6日です。
8月6日はとても大切な日のため、いつも
「平和の礎」を再確認するようにしています。
毎年、私が山口先生から伺った内容を、
ストーリーにしたものをあげていましたが、
今回は、ご本人から直接描き下ろしていただきました。
リアルですし、ものすごい偉大なお祖父様をお持ちです。
自分の今享受している平和は、
あたりまえの平和では、ないと強く認識できました。
先人からの命をかけたギフトなのです。
ある有名な、キャスターが先日言っていました。
「どこの国が、
現代の日本に攻め入るようなことをするというのですか?」
この方の言い方だと、日本が完全に非武装化して、大国の保護がなくても、
日本に、攻め入る国はない。ということを言っているようでした。
何か、最近のテレビで議論している人の、
意見を伺うと、これに近い認識の方を、お見受けします。
この状態を、
「平和ボケ」といいます。
日本は、世界の国々から比較すると、どれほど豊かな国か、
いろんな意味で、豊かさを享受して、生活できる幸せな国です。
もし周辺国家と豊かさの格差が少なければ、
攻め込まれる可能性は、少し減るとは思いますが、
現実において、多くの意味で日本は、とても豊かなのです。
難民キャンプやスラム街で、1人だけ、食料が豊富で、
金銭もたくさん保持していたら
どうでしょうか?
何も、後ろ盾の強みや、保護がなければ、
きっとすぐに、持ち物を奪われるでしょう。
命まで奪われてしまうかもしれません。
貧困にあえぐ人々は生きることに必死です。
日本の国土は、他の国からしたら、
黄金にみえるぐらい豊かな国土です。
それを守るために、先人達は必死でした。
国土を守るために、命をかけて、
明治維新をおこし、
日露戦争の奇跡をおこしました。
その後、道を間違い太平洋戦争に突入し、
多くの犠牲者をだし、敗戦にいたってしまいますが、
終戦後の多くの日本人の血の滲むような努力によって、
また主権、繁栄を取り戻すことができたのです。
現在の平和な状態は、当たり前の状態では、ありません。
先人達の多くの努力の上の平和なのです。
現在世界は、微妙なパワーバランスの上に成り立っています。
様々な国家のパワーバランスだけではなく、
多くの国家の枠を取らない集団のパワーバランス。
その中で、日本は、どのように立ち振る舞っていくのか?
多くの国が戦争状態にある中で、日本だけ、平和憲法があるから、
どこの後ろ盾がなくても、当然に平和に豊かさを享受できる。
こんな、まさかの子供のような思考からの発言を、
有名なキャスターから聞くとは、
驚きでしたし、何かの確信犯かと疑ってしまいました。
平和憲法を保持したいのなら、
世界を巻き込んでの平和戦略をしっかり国家として持つ
必要が当然あります。
自分の家族に、
「盗みをしない、我が家の決まりがある。だから、
夜に、戸締まりせず、ドアを開けっ放しで寝ても。
全く問題ないよね。
こんな平和な時代に、誰が、盗みにくるのか?」
とお父さんが言い出したら、びっくりです。
このような思考は自分の健康についても言えます。
よく自分は、健康でそれが当然なのだと思ってしまうことがあります。
しかし、現実には、
今の自分は、心臓が動いているから生かされている。
体のホルモンバランス、内臓の動き、体温調節、血液の生産、
骨の代謝、感染症からの防御、、、その他多くの事を、体がしてくれていて
それらのだけでなくそれ以外にも非常に多くの働きが、別々ではなく絶妙に調和して
動いてくれている。何十年も、、。
そして、今 あなたは 当然と言わんばかりに座っている。
心臓がとまってしまえば、5分以上生きられません。
現実には、あなたが生きているわけではなく、
体が動いているから生かされている。
この現実を忘れて、
体は、動いてくれて当然。と考えるような方に限って、
病気になることが多い。
健康な状態は当然の状態ではなく、多くの奇跡が重なって調和して、
今自分は、健康な状態に生かされている、
その自分自身の立場を思い出すと、
どれだけ自分が恵まれているか感じ、
生きていることだけで、
呼吸が出来るだけで、幸せな気持ちになります。
今の状態は、当然の状態では、ない。
多くの方々の、命がけの努力、そして
奇跡的な偶然が重なり、とても幸運の状態なのだ。
このことを、しっかりと思い出す、1日にしたいです。
以下 2011年8月6日の当ブログより抜粋。
〜
この話は本当はしてよいものかどうか分かりません。
しかし、昨日、私の尊敬すべきメンターと酒をかわしていたとき、
彼に何かが乗り移ったかのように話し始めたのです。
それはきっと66年の歳月を経て、
日本の魂を守り抜いた方々からの私へのプレゼント
そして今の時代へのメッセージなのかもしれません。
~奇跡的に照らされた「平和の礎」
「死なせてはいけない日本人リスト」からの贈り物~
「失礼つかまつりたく候。
別れの杯をあげたく候。
アルコールを頂戴いたしたく候。」
深く静まり返った夜、机に向かっていると、
後ろの扉をたたく声が聞こえた。
私は、研究用と偽って余分に配給させたエタノールに氷砂糖と水をまぜ、
絶妙な配合のカクテルをそっとつくりあげた。
青年はここ満州の山奥で、ひとつの人生を二十歳そこそこという年齢で、
明日終えようとしている。
今晩は最後の夜だ。存分にのめ!
日本のために死ななくてはいけない若者
日本のために死んではいけない私
「死なせてはいけない日本人リスト」
毎日毎日 原子爆弾製造計画の進捗状況が、確認される。
リストのメンバーは、
すぐにでも製造可能な能力が
自分たちにあることを知っていた。
しかしこれを作ってどこで実験するというのか?
日本の持っているプロペラ機の機動力で実験できる地点は、
成功するにしても失敗するにしても必ず日本人が被爆する。
我々は、我々の原爆はまだできないと、「しら」を切り通そう。
それが、未来の日本人への贈り物であるし、我々リストメンバーの誇りだ。
私は、目の前の青年のひとみをじっと見て、
「戦争が終わったら必ず日本を立て直してみせる。」
と何もできない痛みと戦う心の中で誓った。
〜
現代の私たちの命は、
散っていった若者の思いのおかげで頂いた命です。
散ることができなかった若者の思いのおかげで頂いた豊かさです。
たとえあなたが今無一文だとしても、
それはたくさん頂いた上での無一文です。
ただその事実を、しっかりと認識し 「生かされている」
そう気づけたことが私の原点です。
昨夜は本当に不思議な体験でした。
今日も最後まで読んでいただき大変ありがとうございました。
この体験を広島原爆の日に捧げます。
~ 以上は2011.8.6当ブログの記事です。
治療範囲 | 保険点数 | 自己負担割合 3割 | 自己負担割合 1割 |
身体の深部にある臓器 | 9,000点 | 27,000円 | 9,000円 |
身体の表面に近い臓器 | 6,000点 | 18,000円 | 6,000円 |
私の叔母が広島に住んでいるので小中学生の時、何度か8/6を広島で過ごす機会がありました。原爆の投下された時間に工場などのサイレンが鳴り、黙祷する。子供ながらに何故日本全国で同じようにサイレンを鳴らし、黙祷しないのか?と思った事を思い出しました。平和は先人の方の命、努力、苦労、苦悩などの様々な事から産み出されたもので、強い意志で引き継がないと崩壊してしまうと思います。激しい喧嘩もほとんどしないで育った現代の若い人達に戦争と平和を伝えるのは困難ですが、少しでも伝えいけたらと思います。
しげとも様 ありがとうございます。仰るとおり平和は当然の平和ではなく頂いた大変貴重な平和だとかみしめたいです。
私は高校の修学旅行で広島を訪れ、原爆資料館や被爆者の方々の体験談に強い衝撃を受けました。
そしてこれを知らない人が多い事に、忘れ去られてしまう危機がある事にも。
自分の健康、命において、最近私は「生きている」というよりも「生かされている」と
思うようになりました。ある本で、「生きるとは ただ自然に生かされているだけのこと」とありました。
「自分は頑張って生きているんだ」なんて、何をおこがましいことを・・・と気づかされ、より自然である、自然がある事の大切さを自覚しなくてはと思うようになりました。
今の自分の命は様々な人やもの、過去のおかげで存在する。
8月6日はその感謝の念を思い出さねばならない日でもあると感じます。
こかげ様 ありがとうございます。生かされているということは当然のことですが、そのことを僕が意識できるまで多くの過ちを犯してつらい経験をたくさんしました。当然のことなのにそのことを理解することは非常に難しいことのようです。その境地に立たれているこかげ様を尊敬いたします。
私は生かされている。
先人の努力による、この平和な日本で。
私は生かされている。
体の各器官が生命維持・健康維持のために働いてくれていることによって。
「生かされている」という視点を今まで持てませんでした。
大きな流れの中に自分がいるような、不思議な感覚です。
先人の経験を順番に受け継いでいる、自分だけでなく、皆が大きな流れの中にいるような。
今まで「個」としての自分しか感じられていなかったのかもしれません。
貴重なお話、ありがとうございました。
私は生きているんだ。と思っていましたが、生かされているというのに気づきました。自分の命は、ぽんとこの世に生まれたものではなく、命を削りながら生き抜いてくれた方々が居てくれたからこそなんだと思うと、嘘のない全うな人生を送っていこうと思いました。
すまいる様 ありがとうございます。生かされているという意識忘れないようにしたいです。ありがとうございます。
はじめまして。
平和の礎、心に響きました。
当時の科学者たちも辛い思いをしながら研究されてたのですね。
恥ずかしながら今まで知らなかったので、驚きました。
そして今まで知らずにいたことを恥ずかしく思いました。
なので、日本の原爆研究に関して興味を持っていこうと、本を読み始めたところです。
しかし満州国内で原爆研究が行われていたという資料が、私の探し方が悪いのか、探し方もわからず見つかりません。もし何かご存知でしたら教えていただきたく、厚かましくコメントさせて
いただきました。コメントは削除くださってもかまいません。
よろしくお願い致します。
kozo様 コメント大変ありがとうございます。今回のことは、戦後 文中にある、有名大学の学長まで全うされた方が、戦後何十年か後にやっとお孫さんに事実を打ち明けられた内容です。死なせてはいけない日本人リストは極秘中の極秘の事実のことだと思います。そのお孫さんに縁あってお話を私も伺うことができました。そのため文献として調べられるのはとても厳しいのかもしれません。お力になれず大変申し訳ございません。
そうだったんですね。
そんな貴重なお話を聞けて良かったです。
無理なお願いをしてしまってすみません。
レスありがとうございました。
「今の状態は、当然の状態では、ない。
多くの方々の、命がけの努力、そして
奇跡的な偶然が重なり、とても幸運の状態なのだ。」と先生が話されていたことは心に響きました。常にこの言葉を忘れずに生活していくことで、何かが良い方へと変わってくるように感じました。
オバマ大統領が広島の平和公園を訪れた事で平和な世界に一歩でも前進してくれるといいなと感じました。
源流様 ありがとうございます。少しずつ身近な 葛藤から 減らしていきたいです。
あたりまえに平和が存在していると思うのは大きな間違えで、先人の努力や苦労があったからこそ、平和に暮らすことができる。
こんな日本で暮らせることは、本当に幸せなことだと思います。
昔の人達の苦労を思うと、なんとも言えない気持ちになります。
「平和ボケ」
確かに今の日本はまさにそうだと思います。
でも、そんな日本で暮らせているということは、幸せなことだということに感謝しつつ、でも、人任せにせずに、しっかりと大切に生きていかなければと感じました。