私なりの生きる使命の見つけ方。藻谷浩介さんに出会って、
こんにちは、
今日は、GW明けの月曜日ですが、
部屋に流れてくる風は、秋の香りがします。
すでに台風の風です。
少し季節感が混乱してしまいますが、
つかの間の秋の香りを静かな黄昏時を楽しんでいます。
さて、先日
「デフレの正体」
「里山資本主義」といった
ベストセラーを生み出したあの藻谷浩介さんと
お話する機会をいただきました。
そこでの藻谷さんの言葉が印象的でした。
「政治家は、経済成長、経済成長ばかり唱え政治の目標目的を
経済成長のように主張するが、
国民個人が人生の目的をお金儲けと、叫ぶとおかしいでしょう。」
国としての、目的は、「お金儲け」でいいのか?
そもそもお金は手段であり、
なんのためのお金儲けか?が、大切なのに、
日本の国の多くの国民においても、
目的は、現実的には、お金儲けになってしまっていて、
そこからのことが、思考停止してしまっています。
普通に考えれば、小学生でも分かることなのに、
手段が目的になってしまっている、とても
知性のない状態。
でも、その状態は、私自身は、
日本の歴史のなかで熟成された状態とも考えております。
江戸時代までは、日本という国がまとまることで精一杯
明治維新からは、欧米列強に仲間入り、先進国になることで精一杯。
第二次世界大戦後は、戦後復興、経済成長で精一杯。
経済成長が、一段落した現在、不況だと言って
さらに政治家は声高に経済成長を叫ぶものの、
国民は、少しずつ気がついています。
私達は、金儲けのために生きているのではない。
やっと、様々なことが満たされ、私達は、何のために生きるのか
考えてもよい、考えることが許される時代になったのです。
お金儲けという手段が、生きる目的のときは、
知性は必要ありません。
奴隷のように、頑張ればよいのです。
生きる目的を考える時には、
知性をひらいていく必要があります。
本当の意味での奴隷状態からの開放、
知性的な人間社会への進化ができる
千載一遇のチャンスだと思います。
では、どのように、知性をひらいていけば良いのでしょうか?
「人生において大切なことは、積極的精神である」(中村天風)
私は、知性をひらく第一歩は、
主体的(積極的)に生きる習慣をつけていくことではないかと思います。
私が考える主体的に生きるとは、
自分の身の回りに起こる全ての結果を、自分で引き受けることです。
いま辛いのは、あの上司が、ガミガミいうせいだ。
と考えた瞬間にそのご自身の状況は、上司が握っていることになり、
自分で主体的に生きていることになりません。
上司がガミガミ言うのは、自分が、
どこか成長できる部分があるからかもしれない。
言われていることをとてもたくさん考えたが、
自分では、よくわからないので一先ず、
この状況から離れて立て直そう。
できることを考えよう。
他の上司に相談してみよう。
などある状況に対して、冷静に自分でいろいろ対策を考えていくことが、
主体的に生きることだと思います。
道路に岩が転がっているから、進むことができないと文句ばかり言うのが奴隷思考。
岩があるのなら、岩をどけて進もう、
避けて進もう。
回り道をしよう。
避けれないで、とどまるしかないのであれば、
この進まない時間をのんびり楽しもう。
などと考えるのが主体的に生きることだと思います。
第一歩目:主体的に生きる。全ての結果を、自分以外のものの責任にして逃げないこと。
その習慣がついてくるととひどく、いろんなことが楽しくなってきます。刑務所から出所するとおそらく開放感で楽しいように、奴隷状態の心から主体的は自由な心になると、非常に楽しくなります。
第二歩目:自由になった心で物事をみる。
心が自由になる過程で起こることがもう一つあります。
それは、今まで身につけてきたものが、
取り外れていく現象です。
それを、目的にして、能動的に行うと、
断捨離などと言われますが、実際には、
二次的に起こってくるものではないかと思います。
そして、
心は自由になると、さらにどんどん背負っていたものが外れ、
ひらかれていきます。
心をオープンにして楽しんでいれば、いろんな素晴らしい瞬間が訪れる。その到来にもきちんと気付くことができるんだ。
Byドノヴァン・フランケンレイター(サーファー)
様々なことに相対するとき、心がひらいていればその本質を感じることができます。本質を感じ知ることで、その見ているものだけではなく、見ているものと繋がっているものも同時に感じるようになります。
それが、ことわざ、「一を聞いて十を知る。」 の真意ではないかと考えています。
「先見の明」と「今を生きる」とは、
意味が違うように感じるかもしれませんが、結局心をひらいて 今を生きれば、そこから視野が広がり先も見通せると思います。今を生きる次元が変わるので、生きているのが、今だけでなくなる状態かもしれません。
第3歩目:様々なものをみることで物事と自分とのつながりが実感できる。
そして、最初にも最後にも相対していくのは、自分自身です。外界とのつながりを感じたあと、自分自身に目を向けます。
第4歩目:自分自身を見つめることで、世界(宇宙)のなかでの自分の立ち位置を感じることができます。
「世の中のことを知りたければ 部屋に入り 窓を閉めよ。」
老荘思想
「体の声を聴き続ける。そうすれば健康への道が拓ける。」
相武台脳神経外科(笑)
世界(宇宙)の中の自分の立ち位置がわかったあとに、見えてくるもの、
それがまさに、自分の役割(使命)だと思います。
第5歩目:世界の中の自分の役割(使命)を知る。
ここでお釈迦さんの言葉です。
「人生の目的を知らずに百年生きるよりも、出世の本懐に向かって一日生きるほうがはるかにすぐれている」
お釈迦さんの言葉を批判するわけではないですが、
多分お釈迦さんではなく、聞き取った人の誤解だと思いますが、
「すぐれている」という優劣ではない感じが私はしますが、使命を知って出世の本懐に向かっていきることは、感動的であり楽しいし、自分がいちばん「いきいき」とした状態だと思います。
私自身は、使命を知ったかなと感じたら、いつの間にか日々の現実のなかで、反応的な心の状態になっていたり、そこからまた意識して、第5歩目までいったり、第1歩目と第5歩目を行ったり来たりしながら毎日をいま送っています。
その中で、使命を知る。「知る」状態が確固たるものに少しずつ鍛えられています。それを練り鍛えてくれるのが、人生での日常の経験なのです。
私自身は出家したり、千日回峰行を行う以上に、現実から逃げずにしっかりと主体的に生きる鍛錬をすることが、使命を確信する、悟る一番の近道ではないかと考えております。
藻谷さんに出会って、こんなことをほんわか考えていました。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
治療範囲 | 保険点数 | 自己負担割合 3割 | 自己負担割合 1割 |
身体の深部にある臓器 | 9,000点 | 27,000円 | 9,000円 |
身体の表面に近い臓器 | 6,000点 | 18,000円 | 6,000円 |
ついつい生きている身内や色んなしがらみに振り回され
本当にしたい事を内に秘め生活せざるおえない状況もあると思います。それは精神的に苦痛ですし、きっとそのうち身体的にも影響が出て来ると思います。
確かに家族がいたり、育児に追われると振り回され主体性が失われたと感じるかもしれません。
でも同じ育児に追われたとしていても、主体的に捉え、1人の人間を責任持って育て上げる使命感を持てばそれは主体性を持った生き方で、育児の合間に花を育てたり、自分の楽しみを見つければ自由な心は持てると思います。
つまり、自分の置かれた状況で必要なら環境をかえ、もしくはそれが困難なら考え方を変えてみるなど臨機応変に捉える柔軟性が必要だと思いました。
しげとも様 ありがとうございます。大変な環境で頑張られているからこそのコメント勉強になります。
経済成長政策を「単なる金儲け、手段が目的になっている」と非難されていますが、少し短絡的な判断と思います。政府の政策目的は国民が安全に、心豊かに暮らせることは間違いないと思います。ただそのためには金が要ります(すなわち税収)。政府に金が無くては、国を外敵から守ることも、国民に豊かな福祉、社会保障を提供することもできません。この失われた20年で国は借金だらけ、まともな社会保障も難しくなってきています。金、税収を増やすには経済成長させねばなりません。安定した2~3%の成長が今の日本では極めて困難な状態に陥っています。心が大切なことはわかりますが、貧しく、安心して暮らせないような国で果たして国民が豊かな人生をおくることができるでしょうか?私は国が何とか税収を増やすために(国民のために!)成長政策を行うのは当然のことだと思います。逆に金儲けに走って心を失くしているのは一部の個人と企業ではないでしょうか?それを国に当てはめるのはいかがなものでしょう。国は金だけ溜まっても何のメリットもありません。
天草太郎様 コメント大変ありがとうございます。少し論点が誤解を生みやすい内容なので、あまりここで議論をするつもりはございません。こちらもご理解いただけるまで、説明させていただく能力がございませんので、不快に感じられる場合は、いまは、目を通さないようにしていただけましたら幸いです。力不足で申し訳ございません。ただ、今回のご意見に限り回答させていただきます。
まず、前提として、①経済成長政策で、日本国内の様々な局面において、煮詰まっている時代の「ムード」が高まっているという事実を私は感じます。もし、経済成長政策で、日本国内が万事うまくいっており、何も問題がないというのであれば、この議論が成立しませんので、その前提でお互い認識がずれている場合は、字面の批判だけになりますので申し訳ございません。
②「政府の政策目的は国民が安全に、心豊かに暮らせることは間違いないと思います。」政治は、表向きはなんでも言うことができます。ただ、歴史において評価されるのは、「結果」だと思います。私は、今日本国内の国民の安全性が低下し、心が殺伐とした雰囲気に「ながれ」として傾いているという問題意識、もっと安全性を向上し、心を豊かにしたいという問題意識があるため、もし天草さんが、政府の政策目的が国民の安全で心豊かに暮らすことであり、結果として現実においてもそうなっているとお考えであれば、議論がそもそもかみあいません。「結果」が違うということは、本音の目的は別のところにあると考えられても仕方ないと受け取ることが、政治家としての「責任」だと考えます。
③「政府に金が無くては、国を外敵から守ることも、国民に豊かな福祉、社会保障を提供することもできません。」
もちろんその通りです。ただ、これは、お金を補充する形で、お金以外の面での工夫において、安全保障も、福祉も、社会保障も補える部分があるのではないかという、発想なのです。お金をゼロにということではなく、手段としてのお金を使い他にも手段があるのではという提案です。私は、お金儲けを一切否定していません。手段から目的へシフトしてしまうとおかしなことになるといっているのです。
④「この失われた20年で国は借金だらけ、まともな社会保障も難しくなってきています。金、税収を増やすには経済成長させねばなりません。安定した2~3%の成長が今の日本では極めて困難な状態に陥っています。」
20年間経済成長を目指して、借金だらけになり、安定した2〜3%の成長が今の日本では極めて困難な状況なら、次の20年は、少なくとも対策をなにか根本から変える必要性を私は感じますが、もし感じられない場合は、議論がそもそも噛み合いません。
⑤「心が大切なことはわかりますが、貧しく、安心して暮らせないような国で果たして国民が豊かな人生をおくることができるでしょうか?」 私は、「豊かな人生をおくるために、心を大切にする。」とはひところも申しておりませんので、自分自身のあり方を大切にしたいだけなのです。しかも、心を大切にすればなぜ、貧しく、安心して暮らせない国になるのか私には理解できません。私は、お金儲けも、安全保障政策も一切否定しておりません。まだ私の文章表現の能力不足でお伝えできずすみません、これも議論が噛み合っていません。
⑥「私は国が何とか税収を増やすために(国民のために!)成長政策を行うのは当然のことだと思います。」現状を変えようとしたときに、まず、「いままでのことは、もしかしたら間違っていたかもしれない。」という思考実験からスタートすることが基本だと思いますので、まず、現状を変えようとされていなければ議論になりませんし、その思考実験を持つ勇気がなければ、さらに議論になりません。そもそもその勇気がなければ、成長政策の成長などありえないと考えます。
⑦「逆に金儲けに走って心を失くしているのは一部の個人と企業ではないでしょうか?」一部の個人と企業だけと現状認識されているのであれば、私と現状認識の前提が違いますので議論が噛み合いません。
⑧「それを国に当てはめるのはいかがなものでしょう。国は金だけ溜まっても何のメリットもありません。」私は、国が金を貯めるため経済政策をしているのではなく、その資金の流れ先が問題と考えていますので、お互いに考えている問題点が異なりますので議論になりません。
以上ですが、私の文章表現能力が低く大変申し訳ございません。
日々の生活の中でこうしてブログで色々な先生の話を聞いたり、見たりする事は、3歩目になっていると思います。今後は4,5歩目に行けるよう頑張って行きたいです。
しげとも様 ありがとうございます。まず一歩目を踏み出すことが難しいですし。一歩目を踏み出す必要性も感じない人がほとんどですので、一歩目が踏み出せているだけですごいと思います。皆さんに少しでも刺激になりましたら幸いです。
「主体的に生きる」
今の自分の状況は、全て自分に原因があるという「100%自分原因説」という本を思い出しました。
つい人のせいにしたり、言い訳をしたくなりますが、逃げずに責任ある行動がとれるようになりたいです。
「自由になった心で物事をみる」
義務や責任や固定観念に縛られている日々でも、心は自由でいられると思いました。
自分を束縛しているのは自分自身であり、自由にできるのも自分しかいないと思います。
少しずつでも心を開いて自由になっていきたいです。
「様々なものをみることで物事と自分とのつながりが実感できる」
いろいろな人やもののおかげで自分は生かされていることに気づくと、感謝の気持ちがわいてきます。
そして、自分も誰かや何かの役に立っていればいいなと思います。
「自分自身を見つめることで世界のなかでの自分の立ち位置を感じることができる」
色々なものに興味を持ち、心の中で自分に問い続けると、自分が何をしたいのか、どうなりたいのか、気づく時が来ると思います。
それが自分の立ち位置であり、役割(使命)なのではないでしょうか…
「世界の中の自分の役割(使命)を知る」
自分のやりたいことをやることが自分の役割(使命)ならば、それが世の中を変えるような大きなことでなくても、その役割を担えていたら、毎日が楽しいだろうと思いました。
「現実から逃げずにしっかりと主体的に生きる鍛錬をすることが、使命を確信する、悟る一番の近道」
言い訳をせず、常識にとらわれず、想像力を働かせながら日々を過ごす…
こつこつと積み重ねる毎日の中に、新たな気づきや悟りがあるような気がします。
「現実から逃げずにしっかりと主体的に生きる鍛錬をすることが、使命を確信する、悟る1番の近道」
私の知っているAさんは、いつも目をキラキラさせながら、その時にするべき事は何なのか、自分が何をしたいのか(何をしている事が幸せなのか)を理解している?と私が勝手に思っている人です。
Aさんは「悪い結果」に対しても「人のせいにしている暇などない」という感じで、自分のやるべきことに取り組んでいます。
Aさんと出会うことができて、このブログを読んで、自分も「奴隷状態から脱出したい」と思いました。
「主体的に生きる」「自分と向き合う」意識して生活して行きたいと思います。
お金は手段で、目的ではないはずなに、手段を目的と思い込んでしまっている部分があるんだと思いました。ところどころで目的に戻って再確認していかなくてはいけないんだと感じました。
まだまだ未熟な私としては、往々にして悪い結果を何かのせいにしたり、
言い訳をしたくなりますが、出来るだけ心の中だけに留めるよう努力はしています。
全てが自分に原因があるとの考えを基本に、積極的に様々な状況に対応する
方法を考え、何事も逃げずに取り組んで行けてら良いと思います。