西洋医学は、ぶれる?チベット医学は、ぶれない??
①チベット医学、西洋医学それぞれの定義付け
② 全く異なった文化に触れるということ
③お知らせ
こんにちは、水曜日の午後いかがお過ごしですか?
相武台地方は、大変気持ちのよい晴天となりました!
日差しが少しずつ明るく強くなって、土の鼓動が少しずつ伝わってくるようになりました。
本日午前中は、当院で、
日本でたった1人のチベット医である小川康先生をお迎えして、チベット医学の勉強会を行いました。
もちろん聴講生である私たち相武台脳外科のスタッフは全員、全く触れたことのない世界のお話でした。
今まで、全く考えたこともないような文化に触れて、まだスタッフの感想を聞けていませんが、少なくとも私自身は強烈にインスピレーションを刺激されました。
その中でも、印象に残ったことは、
一口に医学といってもチベット医学と西洋医学では、医学そのものの言葉の定義が全くちがうということでした。
西洋医学は「病気を治す、克服する。」ため、あるいは「病気を予防する」ことが目的の学問だと私は現状で認識しています。一般的にもこの定義であまり、批判されない気がします。
それに対して、チベット医学の定義は、
「さとりを開くために、医学はある。」つまり、「さとりをひらく手段」ということのようです。
これを聞いて愕然としてしまいました。「さとり」という言葉で、及び腰になってしまう方がいるかもしれませんが、 「さとり」という言葉の捉え方がどうであれ、要するに人間として向上するために医学があるといっているのです。
大変に、本質的で根本的な学問との印象をうけました。しかも、病気を予防あるいは治すだけではなく、さらに積極的に、健康の本質へ体を近づけていくということで、西洋医学よりも「攻め」の医学との印象をうけました。
またこのような言葉も言われていました。
「何かを学ぶために体はある。」
この世に生を受けて、そして、何かを学ぶために、体が存在する。
体は、人間としての向上の道具にしかすぎない。
しかも、びっくりしたのが、チベット文化では神様達は人間よりも階級が下と考えられているようです。
なぜか、
チベット文化にとって、
「苦しみがないことが最高の苦しみ。」苦しみ、課題、によって人間は向上するため、
苦しみのない、神様は向上できる人間よりも階級が下のようです。
「苦しみがないことが最高の苦しみ。」
その文化がいいとか悪いとかではなく、このように、全く異文化にふれることで、違った考え方に触れることで、私たちが得られることは非常に多いです。
小川康先生が私たちにぼそっと言われた一言が耳に残りました。
「すごく楽になるでしょ。」
私たちは、いつのまにか、何かを決めつけてしまって生きている部分があるのかもかもしれません。
何かを決めつけないことってこんなに力が抜けて楽なことなんだ、、
本当に楽しい3時間でした。
本日は、小川康先生本当にありがとうございました。
これからも、定期的に開催していく予定です。よろしくお願いいたします。
<お知らせ>
さて、いよいよ、高血圧克服セミナー 40代トップマネージャーを目指す方への血圧管理と題したビデオセミナーを明日公開します。
高血圧は改善しない。薬を飲み始めると一生のみ続けなくてはいけない。
皆さん!決めつけていませんか? 決めつけの制限をはずすことほどわくわくして楽しい作業はありません。是非登録してみてくださいね。
それでは、本日も読んでいただき大変ありがとうございました。
治療範囲 | 保険点数 | 自己負担割合 3割 | 自己負担割合 1割 |
身体の深部にある臓器 | 9,000点 | 27,000円 | 9,000円 |
身体の表面に近い臓器 | 6,000点 | 18,000円 | 6,000円 |
「何かを学ぶために体はある。」とは思いもよらないお言葉でした。
私達は生まれてからこれまで、未知の世界・先人の残した文明を必死に詰め込み
また外界を知り、自分の無能さに辟易するということを繰り返しています。
時にそれに疲れ、その疲れが病へと繋がることもあるかも知れません。
それが、
「苦しみがないことが最高の苦しみ。」
というチベット医学の根源であるお言葉でスッと救われた気がします。
人は必死で苦しみや悩みを取り除こう、取り除けないから苦しいと
病のスパイラルに陥りますが、
「(この医学の定義が)すごく楽になるでしょ。」と言われると心底ホッとします。
苦しみや悩 みは取り除くべき相手ではない、
それによって学びを得る必要なものなのだ。
そう感じられて深く感銘いたしました。
みんみ様 ありがとうございます。「何かを学ぶために体はある。」すごい言葉です。
「何かを学ぶために体はある。」「苦しみがないことが最高の苦しみ。」ということばはすべての出来事やサインが自分の成長のためにあるんだと感じることができました。
さとりを開くために医学がある…
西洋医学とはかけ離れた感じですが、体の声を聞く事はさとりを聞くために必要な過程だと思いました。
しげとも様 ありがとうございます。たまには究極的なことも考えていきたいです。
チベット医学は、とても面白い考え方ですね。何かを学ぶために体はある。
“体感”もしないと分からない、ということでしょうか。
神様は苦しみがないから人間より下、というのも意外でした。
でも苦しみがあるから学べているのは事実だと思いました。
また、何かを決めつけない、こだわらないようにすると、なんだか自由で楽なことだな、
と私も最近思うようになってきました。
チベット医学の定義は、「さとりを開くために、医学はある。」人間として向上するために医学があるといっている…
ブログを読んで始めて知ることができました。
病気に焦点を合わせたものではなく、一人一人この世に生を受けた時から最期を迎えるまで、生きていくことの楽しさ 苦悩等…物事の真の意味を知り 理解し 感じること 精神的な成長 や ありかたも含めた医学なのかなぁとブログを読んで感じました。