2015年は「捨」。
2015年 新年あけましておめでとうございます。
昨年は、大変お世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年の年明けは、
北インドダラムサラマクロードガンジという
山岳地帯からの年明けでした。
今年は、昨年とは、様々な意味で対照的な、
潮の香りと里山の深みが混在する
熊野からの年明けとなりました。
私は、当院の舵取りをする上で、
年初にあたり、
その年の当院が、意識する方向性を言葉にして、
表すようにしています。
目的は、
自分自身及び当院職員への確認と、
患者さんへの当院の方向性の意思表示の2つがあります。
2011年の7月に開業し、当初より、
「医師を必要としない地域を創る。」という
極端なエッジのきいたコンセプトを打ち出した後の
2012年の年明けのテーマは「意志をもった調和」でした。
2012年の1年で職員を始め地域の方々へ少しずつご理解を頂きながら、
逆に当院としましても、多くの事を患者さんから、教えていただけました。
振り返るとまさに、意志をもった調和の方向へ進んだ一年でした。
そして、いまでは、当院の特徴とも言える、
チャンネルSが放送開始された2013年の年明け打ち出したテーマは、
「固から展開へ」でした。
2013年は当院の方向性が固まりつつある中での、
発信方法として、
チャンネルS、ブログと展開する事ができた一年となりました。
さらに、チャンネルSの継続発展、当院としては、
思い切った、新規事業とも言える保険外診療
「高濃度ビタミン点滴」が開始され
その、患者さんの増加がみられた2014年は、
「展開から大きな流れへ」という言葉を打ち出していました。
不思議な事にその年を振り返ってみると、
年初に打ち出した言葉が、結果としてその年を集約する言葉になっています。
そのことは、
舵取りとしては、ぶれていないということで、
このような機会に振り返る事は、
個人的には、確認、安心、自信へとつながります。
そして、繰り返しになりますが、
患者さんへの、しっかりとした意思表示となります。
開業してからの年数を重ねるにつれ、
様々な事柄の寿命を考えます。
ライフサイクルとでもいうのでしょうか?
ライフサイクルを考えますと、
あらゆるものに栄枯盛衰はあるような感じはします。
しかし、最近少し思います。
本当にライフサイクルとは、
栄枯盛衰の枠から逃れられないのでしょうか?
今年の正月は
熊野古道を歩き、熊野で神社巡りしていて、
日本の文化が、千年以上にもわたって、
色あせずに、
満ちあふれたエネルギーを放ち続けている実感を非常にもちました。
外国の世界に目を向けると世界遺産となると、文字通り遺産であり、
その遺産から命のエネルギーはあまり感じないにもかかわらず、
日本の神社などの世界遺産は、
色あせないばかりか、輝きを増している感じがあります。
(伊勢神宮から遅れること一年遷宮したばかりで元気いっぱいの瀧原宮)
また、日本の伝統文化に、関しましても、
その多くが、まさに「道」というにふさわしく、
歴史を重ねるにつれ、洗練さを増していく流れを感じます。
歴史を重ねるにつれ、
衰退し、衰退するなかで排他的になりもめ事が起こり、
また衰退の速度を早める文化と、
輝きを増し、歴史を重ねるにつれ、洗練され、その上で、
逆説的に、
他文化に対して寛容となる文化と何が違うのでしょうか?
そのヒントは、
年明けからの熊野の旅にありました。
まず、年明け最初にお会いした、
他の追随を許さない圧倒的な実力をもつ硯職人 山口光峰さん。
(3年前の山口さんとの初めての出会いを書いたブログは
こちら。)
そして、個人的に、元日から4日連続で挑戦した、
熊野の清流、 古座川河川敷での座禅。
その二つの山口さんと座禅、
に共通していたこと、それは、
「祓う技術」「捨てる技術」「外す技術」
つまり洗練させていく技術です。
知識を捨てれば捨てるほど、
逆説的に「分かる」事実
不純物を削ぎ落せば落とすほど、
逆に、不純物に寛容になる器が出来上がる事実。
この事からも、
組織体をエネルギーの高い状態にし、
命の状態を輝く状態に保つために、
当院が今年目指すべき方向性は、
ずばり、「捨」この一文字に集約されると考えます。
なかなか分かりにくいですが、
歴史を重ねるにつれ、贅肉がつき、
肥満になっていく伝統文化と
洗練され、エネルギーに満ちていく文化、
その違いは、捨てる事ができるかどうか?
と考えました。
ここまで書いて、去年の年初に書いたブログを読み返してみると、
ほとんど同じ内容のことを、違う体験
(去年は、インド旅行の体験)から書かれていました。
去年のブログはこちら。
一年前から、
無意識にこの方向へ舵取りすべきと、
直感で感じ続けているのだと思います。
今年は、いよいよ「捨」これを実行する年にしていきたいです。
そして、「純度」をあげる事を意識していきます。
洗練していくにはどうすればよいか?
様々な試行錯誤しながら、日々を過ごし、
結果として
その答えは、去年までと同じように
また来年の年明けに
答えが出ている状態になると思います。
まだまだ発展途上ですが、
今年一年何卒よろしくお願いいたします。
治療範囲 | 保険点数 | 自己負担割合 3割 | 自己負担割合 1割 |
身体の深部にある臓器 | 9,000点 | 27,000円 | 9,000円 |
身体の表面に近い臓器 | 6,000点 | 18,000円 | 6,000円 |
「捨てる技術」
私も含め、ほとんどの人は足りないモノ、持っていないモノについ意識が向いてしまいます。
そんな今の状態から敢えて何かを「捨てる」のは、技術なのだと思いました。
A 様 ありがとうございます。以外に捨てるということはいうは易し行うは難しです。精進します。
「洗練」のための「捨」
「洗練」というと、アートやメイク、ファッションのことが思い浮かびます。
それらは、自分自身を表現するものであり、その人の生き方に繋がるものだと思います。
どこかにポイントを絞り、無駄なものを削り「洗練」されていくことは、目指すべき生き方そのものだと思いました。
A様 ありがとうございます。 捨てれば捨てるほど、手に入れることができるパラドックス。
日々の勤務に関して、未熟な点を抱えながら
患者様との関わりを模索中ですが、
その中で本当に患者様との向き合い方、
当院で自分のあり方を考えると
確かに不要な事柄も徐々に増えつつある気がします。
また自分のライフスタイルも、必要・不必要を見極める
ターニングポイントも感じております。
私は先生のように直感を見極められないような気がしていますが、
落ち着いて気を引き締め、精進して行きたいと存じます。
みんみ様は 必ず直感に触れることができると思いますし、すでにできていると思います。お気づきになってないだけかもしれません。
今年は、いよいよ「捨」これを実行し「純度」をあげる事を意識するという先生の言葉に、自分も理念や行動に対し、一つ一つ考えて勉強していきたいと思います。
簡単なようで難しい事です。
物を捨てるのも、考えれば考える程逆に難しくなるような気がします。
私も今勤務するにあたり、今までの経験が生きる点と、今までの経験が邪魔する部分があり、何かスムーズに行かないような気がします。
しげとも様 ありがとうございます。難しいということは可能性ですね!
純度を上げていくために何かを捨てるということは、簡単そうに見えて難しいと感じました。私自身も、何かに向かっていくときには、不純物を捨てることを意識して行っていきたいです。
すまいる様 ありがとうございます。捨てることは非常に難しいですね。究極的な状況を想像するとおもしろいです。乗っている飛行機が墜落することになったら、地上の家族にどのような言葉を残すか、とか いろんなこと捨てられます。
本当に必要な物だけを選別する能力が著しく劣っていると思われる私は、
ついうっかりすると、物に溢れ収集の付かない状態に陥ってしまいそうになります。
そんな時、受け売りですが、愛着があるか・3年以内に使用しているかと言う点を選別の基準に分別し、思い切って「捨てる」を心がけています。
選別を過って大切なものを捨ててしまっては大きな損害です。
先生が提案されている、究極的な状況を想像して選別すると言うのも一つの基準だと思います。
直観が備わっていない未熟な私にとっては、この基準の選別こそが重要ポイントです。
「祓う技術」「捨てる技術」「外す技術」は洗練させていく技術。
知識を捨てれば捨てるほど、逆説的に「分かる」事実
不純物を削ぎ落せば落とすほど、逆に、不純物に寛容になる器が出来上がる事実。
私も捨てるということは、ほんとうに自分に必要なものを見分けることができるチャンスになってくると感じました。
普段、何かを手に入れよう、身につけようと一生懸命になりがちですが、「捨てること」は案外むずかしいものだと感じます。
捨てることは、昔よりは易しくなったような気がしますが、まだまだ純度を上げていきたいです。
知識を捨てれば捨てるほど、逆説的に「分かる」事実。
一度覚えたら、なんとしてでも忘れないようにしたいと思ってしまいますが、一度捨てることにより、しっかりと分かるようになる。確かにそうなのかもしれません。逆に、忘れないようにしたいと思った知識は、いつまでたっても自分のものにならずに、いつも資料を開いたり、メモを見たりしている気がします。覚えた!と思ったことは、一度そこから離れてみる。また、もう一度戻ったときに、しっかりと分かっていることを確認すると、さらにいいのかもしれません。頭が飽和状態にならないように、知識も整理整頓していきたいと思いました。