迷った時に人間ができる唯一の行動: できることを知る。
迷った時に人間ができる唯一の行動
「できることしかできない」
いままで、元気だったのに突然頭痛が続くようになった。
全く心当たりないのに、
めまいが続くようになった。
耳鳴りが急に、鳴り響いて止まらなくなった。
理解できない足腰の痛みが続くようになった。
症状が、生活に影響する。
仕事に影響する。
勉強に影響する。
「意味が分からない。」
「なにか大きな病気の予兆かな。」
「どうすればよいのか?」
ご自身で起こっている、
現象が分からなすぎて、
慌てふためき、
不安感が日々増大していきます。
そして、
「体のことは専門家にきけばいいや。」
病院受診されます。
病院で、
いわれたことは、
「問題ないです。」
一瞬、大病でないことを知り、
安堵するも、
「症状の原因は、はっきりとはわかりません。」
「ひとまず、薬で症状を緩和しましょう。」
といわれてさらに謎は深まるばかり、
検査で問題ないと言われて、
一時的に安心しても、
自宅に帰ってからも、
相変わらず、自分に寄り添ってくる
「症状」
全く症状が改善していく
気配が、感じられない。
仕事に、
勉強に、
日常生活に、
症状が、しんしんと
影響を及ぼす。
行き詰まってしまいますね。
このような、
ご経験をされた方
実は、少なくないと思います。
では、
当院もそのような方へのアドバイスは、
「問題ない。」
という言葉になるでしょうか?
否、
当院では、患者さんには、
違った角度からアドバイスを
させていただいています。
医師からの、
「問題ない。」という
言葉の真意は、
「医師が治さなくてはいけない、
あるいは治せるものは、ありませんよ。」
という意味です。
症状がある時点で、
現実的には、
問題は、
「大あり」なのです。
では、
どうすればよいのでしょうか?
答えは、
人間ができる事に、
焦点を当てればすぐにわかります。
迷った時に人間ができる事は、
一つしかありません。
道に迷ったら、何をしますか?
航路で迷ったら、何をしますか?
地図を広げます。
星の位置を確認します。
コンパスを確認します。
つまり、 自分自身と
関係性をもっている対象との、
位置関係をはっきりさせるのです。
逆を言えばそれしかできない。
迷ったら、まず、
「自分の立ち位置を
確認する。」
原因不明の症状を自覚されたとき、
何ができるか?
地図を広げる行為、
つまり それは、
「体と自分自身の関係性を
はっきりさせること。」
であり、
それしかできないのです。
この方法は、強力であり、
人間が、解決できる
たった一つの手段にもかかわらず、
医療現場で、その行動をとる人は、
現実的には、
皆無といっても、過言ではないです。
本当に大切な、事柄は、
意外に、
私たちは、
馬鹿にして
見過ごしてしまっています。
それでは、今日は、
ここまで、読み進めて
いただけた方へ、
「体との関係性」の理解を深める
質問を、一つ提案いたします。
それは、
「人間の体は、
99%自動操縦されていることを、
自分は理解しているか?」
と、自分自身に問いかけてみてください。
髪の毛は自分で意識してのばしていますか?
爪は自分で意識してのばしていますか?
食物は 自分で意識して消化していますか?
心臓を意識して動かしていますか?
体温の調節を意識して行っていますか?
血圧を自分で決めていますか?
目の焦点を自分で合わせていますか?
ホルモンのバランスを自分の意志で、とっていますか?
以上はごくごく一部ですが、
ポイントは、
「身体のほとんどは、動いてくれている。」
ということ。
しかも、生まれてからずっと。
心臓が、とまってしまえば私たちは
5分以上生きられません。
体が動いてくれているから、
生きている。
というより、
生かされている。
自分で、
「生きている。」のでは、
現実的にはないのです。
生きている、時間を、
「与えられている。」
のです。
その事実を、
冷静に「実感」されたとき、
いまある原因不明の症状は、
ご自身にとって問題では、なく、
体の能力をさらに向上させる、
アンチエイジングの手がかりとなる
「宝物」を指し示してくれるものと
実感いただけるようになってきます。
「自分の立ち位置をしる。」
「自分の分をわきまえる。」
「自分自身を知る。」
「現実を知る。」
そこ事こそ、迷える人が、
一歩を踏み出す前に
行う事ができる唯一の行動です。
本日も、最後まで読んでいただきありがとうございました。
治療範囲 | 保険点数 | 自己負担割合 3割 | 自己負担割合 1割 |
身体の深部にある臓器 | 9,000点 | 27,000円 | 9,000円 |
身体の表面に近い臓器 | 6,000点 | 18,000円 | 6,000円 |
「できることをやってみる」
今の自分は過去の自分の積み重ねです。
症状は、今の自分への身体からのメッセージだと考えると、何をすべきか、何ができるか、選ぶのも自分です。
ならば、「できることをやってみる」ことが新たな自分へのスタートなのだと思いました。
A様 ありがとうございます。できることしかできないですね。できないことがあるとできることも我々は、しなくなってしまう傾向にあるように感じます。
最近、心と体の対立についてを考えさせられる体験をしました。心が動きたいと思っていても、体が動かないというギャップに悩んでいました。しかし実際は、体は動く機能を持っているのに、心が動かないと思い込んでいた部分が大きかったのです。
そして、本当は体が動くと知った瞬間、みるみる動く意欲が湧き、日に日にギャップが消えていったのでした。ここでは簡単にしかお話出来ませんが、人の心と体の深い関係を垣間見ることが出来たとても貴重な体験でした。
出来る事を知る。本当にその通りだと思いました。その当たり前が、大変に感じることも多いと思いますが、一つずつ出来ることを増やしていくことが大切だと感じます。
メルヘンうさぎ様 いつもありがとうございます。心はなかなか直接的にコントロールしにくいので操縦がむずかしいですね。その意味でも、できることを知るという姿勢が非常に大切と感じました。貴重な気付きありがとうございます。
自分自身を知り、分をわきまえ、現実から目をそらさず、立ち位置を知る。
迷った時、自分を俯瞰で見つめ直すことも大事だと思いました。
A様 ありがとうございます。迷った時にできることはただひとつということを心していきたいです。
実際、自分自身の身体の不調が突然現れた時、
何がどうなっているのか分からないのが事実です。
また症状が大した程度でないと、そのまま放置しがちで
薬に頼ったり、感じないふりや見て見ぬふりもします。
そうこうしている内に症状が悪化して、病院へ駆け込みます。
その図式は私達の多くが陥りがちな”迷い道”への行き方なのですね。
地図を広げて、自分の居場所を確認する。
自分自身の身体と向き合って、「体と自分自身の関係性を
はっきりさせること。」
自動で動いてくれている身体との付き合い方を確認することが必須なのですね。
みんみ様 私達は、生きているのではなく、自分の体に生かされている、現実をしっかり認識していきたいです。ありがとうございます。
自分の体は自動操縦されていることを実感し、実際の症状などは何かのサインだと受け止め対応できるように日々感じていきたいと思いました。
鍼の治療現場で…
心電図 レントゲン 採血では 何も問題ないと言われているけど、何もしていないときに身体が揺れるほどの動悸感じます…
時々 胸の中心が痛くて、息苦しい時があります…
手足が異常に冷えます…
お腹の張りが強いです…
低気圧が近付くと心臓がバクバクして頭痛がします…
という主訴を訴える患者さんが最近多いです。
私が出来ることは、異常に筋肉が緊張しているところを緩めることくらいしか出来ません。
「自分の立ち位置をしる。」
「自分の分をわきまえる。」
「自分自身を知る。」
「現実を知る。」
治療者側も患者さんも上記のスタンスで関わることができると、治療効果もあがるのではないかとブログを読んで感じました。
身体を 緩めることで自分をみつめなおせるきっかけになれれば…と思いつつ日々治療に望んでおります。
自分の立ち位置を知る。自分の分をわきまえる。自分自身を知る。とても大切な事なのに意識しないとつい忘れてしまいます。よく病気になると何で私が…と割と年配の方も不満げに言うのをよく耳にしますが、まず今まで元気に過ごせた事に感謝し、今後どの様に過せば改善するのか真摯に受け止める姿勢が大切だと感じました。女性だと誰に言われなくても顔だけは年を重ねればそれに見合った手入れを念入りにするのに、体は年だから仕方が無いと諦めている人が多いですが、体も念入りに手入れをすれば改善するという事を自分自身感じています。
さとも様 ありがとうございます。おっしゃるように自分の立ち位置をしるということは本当に大切なことだと思います。
自分という人間を、いろんな角度から見ることで、自分の立ち位置を主観的にも、客観的にもみることができるのかと、思いました。自分を知ることは、自分なんだから当たり前。と思う中で、自分とは何か。まっすぐと向き合う大切さを、真摯に受けとめていきたいです。
人間は、自分で生きているのではなく、生かされている。ということは、わかっているつもりだったのですが、実際には深く考えたことはありませんでした。
「身体のほとんどは、動いてくれている。」
そうか!動いてくれているのか…
私は、なによりも先に、自分の身体に「動いていてくれてありがとう。」
と言うべきだったのかと。
そして、
「いままで痛め付けていてごめんなさい。」
と、言わなければいけないのではないか。
甘やかしてはいけないのかもしれませんが、身体からの小さな変化はしっかり感じ取り、身体が動きやすいように、動いてくれるようにメンテナンスをしていかなくてはいけないな、と感じました。