人生の選択に迷う時
こんばんは、お盆をすぎて
朝晩は少し過ごしやすくなってきました。
私は、暑いのは苦手ですが、
暑さの後の過ごしやすい状態が非常に好きです。
ぼー、として、ヒグラシやスズムシの鳴き声に身を任せる時間ほど、
自分の中で贅沢な時間はありません。
自分の中で贅沢な時間はありません。
尊敬する方から、
「「空気を吸っているだけで幸せ。」と心の底から実感できた時、
その時の体の状態は生命力にあふれ、人生の最終目標が達成できたときではないか。」
ということをいわれ、すごい事をいうな。と衝撃を受けたことがありますが、
その時の体の状態は生命力にあふれ、人生の最終目標が達成できたときではないか。」
ということをいわれ、すごい事をいうな。と衝撃を受けたことがありますが、
この時期、黄昏時にのんびりしているとそのことも少し意味が分かった気がします。
さて、私たち相武台脳神経外科では、
朝のミーティングで、スタッフが勉強してきた事を1分で発表する機会を設けています。
朝のミーティングで、スタッフが勉強してきた事を1分で発表する機会を設けています。
そこで、あるスタッフから「俯瞰力」の大切さの説明がありました。
それを聞いていて気づかされたことがあります。
それは、日々の生活におわれ「こまごま」とした思考に慣れてしまっていると、
悩まなくてもよい事に悩んでしまっている事が多々あるということです。
例えば、片頭痛に悩んでいる人はほとんど、
悩んでいる部分は「痛み」の部分で、
悩んでいる部分は「痛み」の部分で、
「なぜ片頭痛は起こるのか?」
「どのようにしたら片頭痛が改善していくか?」
という根本的な問題に関して悩んでいる患者さんが、
ほとんどいない事実にも当てはまります。
悩みどころを、「痛み」で悩むのではなく
「問題解決方法」へと、思考のターゲットを一段レベルをあげる事で、
どれほど人生の日々が快適なものになるか。
しかも、こまごまとした事の「問題」は解決できない事がおおい。
一生つきあっていくものだと思ってしまう。
問題を俯瞰してみて(全体的にみて)
根本的な方向へ思考の方向を持っていけばどんなに得か?
片頭痛を例に例えてみましたが、その他の事柄におきましても私たちは、
様々な「問題」においての思考のベクトルが「枝葉末節」にいっていることすら
様々な「問題」においての思考のベクトルが「枝葉末節」にいっていることすら
気づいていない事がなんと多い事か。
そのベクトルを「根本」へ向けていくのが専門家の役割であり、リーダーの役割です。
私たちは、日々小さなものから大きなものまでたくさんの選択を迫られます。
これら人生の選択に関しての捉え方も
この「俯瞰力」が重要になってくるとの気づきを得ました。
すごい気づきを与えてくれた俯瞰力を発表してくれた、スタッフに感謝です。
いつも勉強させていただきありがとうございます。
私は予備校時代、
少年週刊ジャンプで連載されていた「スラムダンク」
という漫画に夢中だった記憶があります。
(それとゲームセンターで「鉄拳」にも夢中でした。
仕送りをしてくれた両親に今更ながら申し訳ないです、、)
主人公桜木花道は、特に目的もなく高校生活を始めるものの、
バスケット部のマネージャー赤木晴子に一目惚れしてしまいます。
そこでバスケットというスポーツにたまたま出会う事になります。
バスケットとの出会いは最悪でした。
マネージャーはかわいいものの、
バスケットボールに関しては何もできない自分に、厳しい先輩。
そしてさらに、単純で全く面白くない基礎練習の連続。
高校に入学して、バスケット部に入部継続するかしないか?
表面的には、入部しない方が楽しいに決まっている。
しかし、桜木花道はバスケットボール部継続の道を選びます。
人生の選択の場面で得てして、
自分にとっての宝物が隠されている道が、
表面上厳しく、好きになれない事がよくあります。
そこで、よくどちらが自分にとってよい道なのか、
選択に悩む場面が自分自身も、かつていくつもありました。
しかし、その俯瞰力というお話を聞いて以来、思索をすすめるにつれ、
あまり悩む必要性がないことに気がつきました。
ある一つの時点でどちらを選ぶかというのは、結局表面的なことではないか?
自分の成長にとってその道がどうしても必要であれば、
そこで選ばなくても何度も同じような選択を迫られる。
自然とそれを選ぶ「流れ」になっている。
実際、桜木花道も一度は、バスケット部を逃げ出したものの、
結局紆余曲折はありつつバスケット部にもどっています。
ちなみに、シューター三井君も、、
人生の「道のり」を私たちは、
ともすると日々の重要な自分の選択の積み重ねで、
私たち自身が、「道のり」を能動的に作っているかのように
勘違いしてしまう傾向を持ちますが、
私は違うような気がします。
人生で迫られる選択においてどちらを選ぶかは、
物理法則のように自分が決めたと思う前から決められている。
自分自身の意志が決めるのでは、なく自分の「器」が決めている。
今の自分の人生の「流れ」が決めている。
高校入学当時の桜木花道の「器」が、
バスケットボールを初心者から挑戦するという厳しい道を選んだ。
人生の道を選択するのは、
自分の今の意志、顕在意識あるいは「エゴ」といえるものかもしれませんが、
それが選択するのではなく、自分自身の「器」が選択している。
最近この法則に、気がつきました。
これは、人との縁についても同じだとおもいます。
誰かとつきあうのは、自分の好みではなく、自分自身の「器」。
だから縁は無理に力ずくで作ろうとしなくてもいいものだと思いますし、
力ずくでは作れないものだと思います。
私たちは、枝葉末節な人生の決断に、一つ一つ悩まなくてもよい。
私たちがしなくてはいけない事、
それは自分の「器」を磨く、自分自身の成長に専心する。
自分自身の「器」が作り出す人生の「流れ」をより高いレベルに高める。
その事しかできないしその事をしさえすればよい。
だから選択に迷う事などなにもない。
人との縁に悩む事はなにもないのです。
私たちがしなくてはいけない事は非常にシンプルです。
Just do it !!
治療範囲 | 保険点数 | 自己負担割合 3割 | 自己負担割合 1割 |
身体の深部にある臓器 | 9,000点 | 27,000円 | 9,000円 |
身体の表面に近い臓器 | 6,000点 | 18,000円 | 6,000円 |
相武台脳神経外科
悩みの“問題解決方法”を考え、思考のターゲットを一段レベル上げることで、どれほど人生の日々が快適なものになるか。という部分に共感致しました。問題の原因を知り、解決の為に必要な情報を集めることは大事です。自分は悩んでいる時、そのモヤモヤした気持ちを消し去るべく現実逃避や他のことをして問題から離れてしまいがちですが、それでは遠回りになる事が大体です。
個人的に最近はさまざまな選択に迫られる時期で、自分の選ぶ選択が本当に後悔しないのか考えてばかりですが、先生のおっしゃる通り、自分自身の「器」が選択していて、良い流れになっているのだとしたら良いな、と思います。
匿名希望様
深く読み込んでいただき大変感謝いたします。選択を迫られる経験は非常に貴重な経験ですね。ありがとうございます。
人生の選択は自分自身の「器」が決めているんですね。
色々私も人生で選択してきたことがたくさんあります。過去の経緯が今の現実(結果)だと前に本で読んだことがあります。
今の自分の器を磨いて、長い時間の流れに乗りながら、これからの未来(結果)を作っていきたいと感じました。
ビオレ様 ありがとうございます。器を磨いていきたいです。
気が付くと、細々とした選択に思い悩んでいる自分がいます。
『私たちのしなくてはいけない事、それは自分の「器」を磨く、自分自身の成長に専心する。』
集中すべき、大事な事を忘れないようにしたいです。
私自身も、痛みを取るにはどうしたら良いかでなく、なぜ痛いのか、痛みを改善できるのかを自分自身で問うことでしか問題解決の道は開けないのだと、本当に日々思います。
それは容易なことではないし、紆余曲折し、なかなか根本的な解決策へとたどり着くことはできないかもしれない。
あるいは、こんな簡単なことだったのかと思うようなことであるかもしれない。
でも、そうして根本的な方向へ思考を向けないかぎり解決はできないと、あきらめずにやっていきたいと思います。
自分自身の器を磨く・・・・・とても大切だと感じました。器が小さく使用しにくい形状だと大切な色んなものを取りこぼし、器が大きく使用しやすい形状だと色んな大切なものが入る・・・・・そして流れに乗れる。私の今の理想の器は大きくざるのように必要なもの、不要なものが整理出来るようなものをイメージしました。
源流様 ありがとうございます。イメージが素晴らしいです!
最近、どちらをとるべきか…悩んでいたことがありました。
いろんな人に聞いてみたけれど、結局は、自分が納得する方に落ち着き、もやもやしていたのが、すっきりしました。
どうして、こういう結果になったのかわかりませんでしたが、それはきっと、自分の「器」が決めたことなんですね!
悩んでも、行くべき方向に進むのなら、ムダに悩むのはやめようと思いました。